吉野石膏株式会社


株式会社協和ハウジング 様

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第四回 株式会社協和ハウジング 様

永らく吉野石膏の商品をご愛顧いただいている
お取引先様のお気持ちを“吉野愛”という言葉に
置き換えて、そのお心をお伺いに回る
タイガーくんの“吉野愛”をたずねて。
お仕事への思い、商品への思い・・・。
さて、どんなお話が飛び出すでしょうか!?

企業プロフィール

会社名 : 株式会社協和ハウジング 様

住所 : 千葉県茂原市東部台3-3-3

代表者 : 代表取締役社長 内山 和男 様

会社設立日:昭和52年5月30日

事業内容 : 注文住宅の設計施工、不動産売買、賃貸、 リフォーム

URL : https://www.kyowa-housing.co.jp/company/

第4回のお客様は、千葉県茂原市にある

株式会社 協和ハウジング 代表取締役社長の内山和男さんです。

取材にお邪魔した私たちを物腰柔らかくお出迎えくださったところから、そのお人柄が垣間見られた内山社長。

開口一番、「いやぁ、記事にできそうなお話なんて無いんですよ」とおっしゃっておられましたが・・・。


「インタビューを受けるにあたり」

  • 内山社長)「え?インタビュー?私なんかでいいんでしょうか・・・?」というのが正直な感想でした(笑)。私の弟である専務(内山卓士様)がご提案をお聞きし「いい機会だからお受けしましょう」と。弟は私と性格も異なりまして、まぁ、それが会社としてはうまく役割分担となり、かみ合っているのかな、とも思っていますが。


    タイガー)ご兄弟で経営ということは、創業者は・・・?


    内山社長)協和ハウジングの創業者は私の叔父にあたる人で、大変エネルギッシュな人でした。1977年にいすみ市で会社を立ち上げたあと、商圏を模索しながらここ茂原に拠点を移して47年、先代をはさんで私が3代目の社長となります。


     弊社はお客様から家の注文を頂いて、家を建てるという「建築請負業」の会社です。

     この辺りは1軒当たりの土地が広いので、昔は同じ敷地の母屋の傍らに家を建てるようなお客様も多かったのですが、最近はご家族でも新たに土地をお求めになり、そこに新築されるようなケースが多くなってきました。程よい距離感のほうが住み心地よい、ということなのかもしれません。従って2世帯住宅のご注文はほとんど無くなってきています。この傾向に伴い、私たちの商売も「良い土地」に精通する必要が出てきましたので、不動産(土地)もからめた営業スタイルに変化してきています。


     業務内容は大きく分けると4種類、「営業」「設計」「インテリアコーディネーター」「現場監督」です。それぞれの専門家がタッグを組んでチームとなりお客様用のオーダーにお応えしていくのですが、弊社では現場監督がお客様と深く係わるスタイルをモットーにしているため、5人の現場監督で一人平均6件、会社としては計30件ほどの新築現場が同時進行している、というような状態です。


「学生時代にさかのぼってお話を聞かせてください」

  • 内山社長)私は親と担任の勧めで入学した学校(東海大浦安高校)の関係で、高校1年からいわゆる賄い付きの下宿生活をしていました。部活は吹奏楽部。裏話をすると部の顧問は私が不得意な「数学」の先生でして、「おい内山、入部したら数学の点数に下駄を履かせてやるぞ」と言われましてホイホイと(笑)。しかしそのお陰で、「甲子園のアルプススタンドで母校の応援歌を吹く」という素晴らしい経験もできました。


     大学ではバイク好きの仲間に誘われてツーリングクラブに入りました。みんなでお金を出してガレージを借りたりしていましたが、私は原付の免許しかなく、結局ツーリングにも行かず、借りた車で仲間とドライブをしていました(笑)。でも、写真でお分かりの通り、楽しい思い出がいっぱい残っています。


    タイガー)学生時代を楽しく過ごされて、そこから就職を迎えます。


    内山社長)はい、実は堅実な弟(卓士専務)は学生時代から建築系の学部で学び、この会社に入る準備を着々と進めていましたが、私は叔父が建築会社をやっているということは知ってはいたものの、建築とは

    遠い文系の学部だったことに加え、時はバブル絶頂期、就職先はいわゆる「選び放題」だったこともあり、世のブームに乗るようにコンピュータ関連の一般企業に就職しました。

     ところがその仕事に疑問を持ち始めた25歳ごろ、さらにはバブルも弾けたタイミングで、これまたタイミング良く母から「叔父さんの会社に欠員が出た。こちらにこないか?」との誘いがあり、即答で「行きます!」と(笑)。何も知らない業種に、準備もなく入ってしまいました。


「建築のお仕事に就かれて」

  • タイガー)そんな中でのお仕事。苦労が多かったのではないですか?


    内山社長)はい。「まずは建築士の国家資格を取れ」、との命を受け学校に行かされ、半年後の合格を目指し、猛勉強を始めました。本当に人生でこんなに勉強したことなんてないんじゃないかっていうぐらいに(笑)。建築の知識には苦手とする理系が多く、特に計算問題などは苦労した思い出があります。そこからは現場監督、営業、総務、などを一通り経験していきました。様々な職種を踏まえて、私は自分で言うのも何ですが几帳面な性格なので、総務のような前線支援の仕事や、企画立案のような仕事が向いているな、と今でも感じています。思い出に残る仕事は、多くの皆さんが同じかもしれませんが、やはり現場監督の仕事を経て、営業に異動したあと、最初にご契約いただいた時のことですね。色々な問題をクリアしながら完成した家を前に、涙されているお客様と一緒に味わった感激は今でも心に残っています。


    タイガー)25歳でこの世界に入られて、約30年。苦い思い出もあるかと思います。


    内山社長)もう、たくさん叱られてきました。特に昔は今以上に先輩のお小言、お叱りを受けながら学んでいく時代でしたので。ある日、お叱りを頂くためにご来社されたお客様に、「本当に反省しているとは思えない」と厳しいご指摘を受けました。そこには私たちが気付かない目線があったのですが。


    タイガー)どんなことでしょうか?


    内山社長)弊社は社内ではいわゆるサンダルに履き替える職場なんです。もちろんスーツにネクタイできちんとお迎えしたつもりだったのですが、うかつにも足元がサンダルのままでした。ご指摘ごもっともですよね。先輩に教えていただくことは今でも多いです。


<お仕事で心掛けていること>

  • 内山社長)社員はトップの顔を見ていますから、うまくいかないことや悩みがあっても表に出さないように、いつも前向きに明るく気持ちを切り替えていくことを心掛けています。


     創業者の叔父に言われたのですが、リーダーは孤独なものだと。それに耐え、理想のリーダー像を演じることが何よりも大切だと習いました。また、これはなかなか100点を取ることが難しいのですが特に近年は日ごろから言葉を選んで、何気なく言った一言が社員や仕事仲間に悪い影響を与えないように気遣いしています。人は貴重です。この仕事は人が全てと言ってもいいぐらいです。ですから「本当に人を大切にしないといけないな」、と考えています。


     商売的な話としては、さらなる発展のために商圏を拡げる必要を感じ、2年前に東金に営業所を設けました。東金営業所にはモデルハウス展示場も併設し、実際に体感していただきながら商談が進められるようになっております。


<・・・・協和ハウジング様の“吉野愛”に触れて>

他の経営者の方に会うたびに、「皆さんすごいな。自分は社長向きではないと思います」と語る内山社長。


会社の次の時代のために「とにかく人を育てたいんです」と熱弁される内山社長。


「9年目に入った社長業、お陰様で順調です。でも点数は75点」

とおっしゃる内山社長とお話をしていると、不思議な魅力を感じてしまいます。


 インタビューを振り返ると、高校選びも吹奏楽部も、ツーリングクラブも転職も、そして仕事を始められてからも、節目節目で良き提案をしてくださる方からの声が届いて、その声をきちんと選び、取り入れてきたことで、幸せに包まれてこられた歴史がそこにあります。それもこれも、ご自身が周囲の方を大切にされてきたからこそ生まれた「流れ」のような気がしてなりません。


 ご転職後、営業に出られた際に思い切って買われ、そのお仕事をいつも左手から見続け、時を一緒に刻んできたロレックス。25年前の時計もその箱も、そして社長のお心も、当時のままピカピカに輝いており、気分晴れ晴れと茂原を後にしたタイガーくんでした。


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