1901 | 創業は山形県の吉野鉱山における石膏原石の採掘に始まる。現社名は、この発祥の地名を冠したものである。 |
1922 | 「タイガーボード」の商品名で、わが国初のせっこうボードを製造販売。 |
1937 | 3月2日吉野石膏株式会社に改組。 |
1948 | 業界の発展を目的としてせっこうボード製造の技術を同業他社に公開指導。 |
1956 | 高砂製紙(株)ボード用原紙専門工場として傘下に入る。 |
1959 | 東北肥料(株)との合弁により、東北吉野石膏(株)秋田工場建設。 翌年、三菱化成(株)の資本参加を得て、菱化吉野石膏(株)となる。 |
1962 | セントラル硝子(株)との合弁による宇部吉野石膏(株)宇部工場を完成。 |
1963 | 東京第一工場を業界随一の最新鋭ボード工場に更新。 住友金属鉱山(株)との合弁による住鉱吉野石膏(株)北海道ボード工場建設。(1969年北海道吉野石膏(株)となる。) |
1964 | 須藤永次社長逝く。その功績により従五位勲五等雙光旭日章を賜わる。 須藤恒雄、取締役社長に就任。 九州工場をニュータイプのボード工場に着手、翌年完成。 |
1965 | YNプラスターの需要増に伴いセントラル硝子(株)等の合弁にて新潟吉野石膏(株)榎町工場建設。 |
1966 | (株)ジプテック高砂工場にプラスター・プラント新設。 翌年8月小名浜工場新設。 東京第二工場を新鋭ボード工場に更新。 |
1968 | 東洋膏板(株)東京工場を買収、吉野石膏(株)草加工場とし、翌年新鋭ボード工場に更新。 西ドイツの石膏メーカーRigips Baustoffwerke社との業務提携契約締結。 |
1969 | 吉野石膏(株)千葉工場第一期計画によるプラスター設備など完成。 |
1970 | (株)サン化学等による副生石膏の有効利用を図るため、新潟吉野石膏 (株)東港ボード工場を建設、翌年竣工。 |
1971 | 小名浜製錬(株)との合弁による小名浜吉野石膏(株)設立。 |
1972 | 千葉工場第二期計画のボード工場竣工。 |
1973 | 三菱金属(株)との合弁による直島吉野石膏(株)設立 |
1977 | アメリカの大手石膏メーカーNational Gypsum社との技術提携。 |
1979 | オーストラリア屈指の大企業CSR社と技術提携契約締結。 首都高速道路計画のため、東京第二工場を閉鎖し、愛知県豊橋市に移設、三河工場として稼働開始。 |
1982 | 多木建材(株)と業務提携。 |
1984 | 需要開発および組織的な設計折込み活動などを目的として、(株)吉野石膏DDセンターを設立。 |
1987 | 吉野石膏(株)千葉第二工場(ボード) が竣工。 |
1988 | 社長須藤恒雄、さきに勲三等瑞宝章を受章したが、更に建材産業業界に尽した功績により、勲三等旭日中綬章を賜わる。 須藤恒雄、取締役会長に、須藤永一郎、取締役社長に就任。 |
1990 | 当社創業90周年を迎え首都東京及び全国主要都市にて祝賀式典を催す。 |
1991 | コープケミカル(株)と合弁にてバーミキュライト(軽量骨材)の焼成を主とする宮古カルサイン(株)を設立。 |
1992 | 山陽板紙工業(株)に資本参加、西日本地区のボード用原紙の安定供給を図る。 排脱せっこうの有効利用の目的のため、東北電力(株)と合弁の能代吉野石膏(株)設立。 相馬共同火力発電(株)の排脱せっこうの有効利用のため相馬石膏(株) を設立。 |
1993 | ヨーロッパ最大の石膏関連企業BPB社との技術提携。 先年着工の北九州ボード工場竣工。 |
1995 | Rio Tintoグループ ダンピアソルト社との間に、現地産出の天然石膏の輸入契約を締結。 |
1996 | 建築資材としての「せっこうボード」の再生・利用業の厚生大臣認可第一号となる。この結果、「タイガーボード」は循環型リサイクル商品として評価される。 |
1997 | 日東石膏ボード(株)のボードをタイガーブランドによるネットワークで発売開始。 四国(愛媛県今治市)吉野石膏(株)今治工場(ボード)が竣工。 |
1999 | 品質保証の国際規格であるISO9001,9002を吉野グループとし て順次取得。 |
2000 | 吉野グループへ〈ボード用原紙〉を供給する兄弟会社である高砂製紙(株)の最新鋭マシンが稼働開始。 須藤永一郎社長、建材産業界への貢献を称えられ「藍綬褒章」受章の栄に浴す。吉野石膏100年三世代にわたる褒章受章の記念すべき祝賀となる。 環境管理の国際規格であるISO14001を三河工場が取得。 |
2001 | 世界トップレベルの実験施設を誇る総合性能試験センターを、千葉第二工場内に建設・竣工。 |
2002 | 吉野石膏虎ノ門ビルを新橋・石膏会館跡地に建設・竣工。 |
2004 | 須藤恒雄会長逝く。 副生せっこう有効利用技術の確立。耐火・遮音工法の開発により、建築物の 不燃化と住空間の向上に貢献。これらの功績により、「正五位」に叙せられた。 |
2005 | 須藤永一郎社長、長年にわたる石膏ボード業界振興の功績により「旭日中綬章」を賜る。 |
2007 | 日本防火ライト工業(株)の事業を継承し、吉野グループとしてエヌビーエル(株)と改名。 北九州研修センターを福岡県北九州市にオープン。 世界最高水準の生産能力を備えた「千葉第三工場」を竣工。 |
2008 | 三河研修センターを愛知県豊橋市にオープン。 |
2009 | 吉野グループとして日本ソーラトン(株)を設立し、ロックウール化粧吸音板「ソーラトン」の製造を開始。 |
2010 | 当社創業110周年を迎え、記念祝賀会を催す。 日本ソーラトン(株)の新工場(千葉工場)を竣工。 三菱レイヨン(株)よりデラクリートの輸入販売事業を譲受。 |
2011 | 神戸研修センターを兵庫県神戸市にオープン。 |
2012 | 仙台研修センターを宮城県仙台市にオープン。 |
2013 | インドネシアに現地法人、PT.YOSHINO INDONESIA設立。 |
2014 | 会長に須藤永一郎、社長に須藤永作がそれぞれ就任。 吉野グループとしてサンケイ吉野(株)を設立し、焼石膏の製造販売を開始。 吉野グループとしてタイガレックス(株)を設立し、セラミック製品の製造販売を開始。 ジャカルタにインドネシア駐在員事務所を設置。 |
2015 | グラスウール製造会社 旭ファイバーグラス(株)を吉野グループとする。 須藤永一郎会長逝く。 シックハウス対策等、新商品の開発による石膏ボードの新用途分野の開拓と環境保護のためリサイクルの推進に尽力。これらの功績により「正五位」に叙せられた。 |
2017 | ベトナムに現地法人YOSHINO GYPSUM VIETNAM CO., LTD. 設立。 |
2018 | PT.YOSHINO INDONESIA チカラン工場竣工。 |
2019 | 総合性能試験センター新館が千葉第二工場内に竣工。 YOSHINO GYPSUM VIETNAM CO., LTD. バリアブンタウ工場建設に着手。 旭ファイバーグラス(株)の新工場(中部工場)を竣工。 |
2020 | 創業120周年を機に持株会社『吉野石膏ホールディングス(株)』を設立。 |
2022 | タイガーボード誕生100周年を迎える。 |