吉野石膏株式会社


株式会社 東和 様

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第六回 株式会社 東和 様

永らく吉野石膏の商品をご愛顧いただいている
お取引先様のお気持ちを“吉野愛”という言葉に
置き換えて、そのお心をお伺いに回る
タイガーくんの“吉野愛”をたずねて
お仕事への思い、商品への思い・・・。
さて、どんなお話が飛び出すでしょうか!?

企業プロフィール

会社名 : 株式会社 東和 様

住所 : 埼玉県川越市今成4-8-30

代表者 : 代表取締役社長 石田 信長 様

会社設立日:1974年4月1日

事業内容 : 内装仕上工事業

URL : https://www.sctowa.co.jp

第6回のお客様は、埼玉県川越市にある株式会社 東和 代表取締役社長の石田信長さんです。

通された応接室でまず目に飛び込んできたのは、部屋いっぱいに飾られた写真やゴルフバッグ。

まずはこのお写真のことからお伺いします。

<写真に囲まれた応接室>

石田社長)この写真は東和の創設者で会長だったうちの父(故・石田信向様)です。

亡くなってもう5年になりますね。葬儀では思い出の写真をたくさん飾り、多くの方に父が元気だった時の姿を偲んでいただきました。交友関係が広く、活発な人だったゆえに良い写真が多くて・・・。それだけにしまい込む気になれずに、ここに飾ってあります。

 

タイガー)部屋中ぐるりと置かれていますね。

 

石田社長)そうですね。この部屋に入るたびに自分の心の根に置かれている先人たちを思い出しますし、また、ここは応接間なので、このようにお客様と話題になることで、その都度偲べるのでは、と思って飾っています。父は東松山カントリーの理事長もやっていたぐらいのゴルフ好きでしたので、ゴルフ場での写真も多いですね。  


・・・まぁ、これだけ父の写真に囲まれるとね、特にここに一人でいると、この部屋がまるで説教部屋みたいには感じますけどね(笑)。

<他社からスタートした建設業界>

  • 石田社長)その頃の父は内装業界の要職(全国建設室内工事業協会会長)に就いていましたし、このように強烈な感じなんで(笑)、最初は父の影響を受けない会社を選んで就職しました。「東和じゃなくてもいいかな・・・」というか、自分の力試しをしたい気持ちが半分、そして東和に戻ることも想定して、「会社」という組織全体が俯瞰で見られる、いずれ戻った時に参考になるような企業で学ぼう、という気持ちが半分でした。

     選んだのはガラス・サッシュの販売会社です。そこでは大手メーカーに出向して中低層のオーダーメイドの仕事や、戦略的な販売にかかわる仕事、また、後輩の指導係など、本当に貴重な経験をさせていただきました。

     

    タイガー)この会社にお戻りになったきっかけは・・・?

     

    石田社長)皆さんもお感じかと思いますが、建築業界って景気の影響を最後に受ける場所なんです。私が就職した時はバブル絶頂期。そこから3年ほど経って、弾けた影響が出始めた、まさにそのタイミングで父から連絡があり「どうするんだ?」と(笑)。

     今でも覚えているのは父からの「バブルが弾けたことにより10年、20年先を見据えながら東和の体勢を今、立て直さなくてはならない。今、ここでお前がそれに関わらなければ、10年後、20年後にも、この会社はお前を必要としない。20年後の自分をどうするのかも併せて考えて、答えを出せ。どうする?」という言葉です。

     自分の中では「社長業をやってみたい」という気持ちもあり、その可能性の高い方を選んだのかもしれませんが、父の言葉を真剣に考え、「東和に入社する」という答えを出しました。

     

    タイガー)息子さんがお戻りになった。お父様はさぞかし喜ばれたのではないですか?

     

    石田社長)どうですかねぇ・・・。もう毎日喧嘩ばっかりでしたよ。向こうは強烈な個性の持ち主のうえに、相手が息子なもんですから、とにかく遠慮無しです(笑)。在籍も長くなり、色々分かってくると、私の中にも自分なりに仕事に対するこだわりが発生してきますよね?そんな時の朝イチからの言い争いなんて、周りが引くぐらい激しくやってましたから。 


     私は今から15年前の39歳の時に社長に就いたのですが、なってからの7年間ぐらいはただただ喧嘩の毎日で。けど7~8年ぐらい前からかな、なんとなく意見は聞いてくれるようにはなりましたね。父が亡くなったのは5年前ですから、仕事に関してちゃんと対話ができるようになったのは最後の2~3年ですね。ま、それまでは私が色々勝手にやっていたのが本当に気に食わなかったんでしょうね。

  • タイガー)お父様と向き合うコツなどありましたか?

     

    石田社長)それは「超面倒な人を説得する手法」の活用ですかね(笑)。例えばどうしても通したい案件ってあるじゃないですか。そんな時は捨て駒をいっぱい散りばめて、ほとんどが「NO」だけど、その本命一点だけは「YES」と言ってもらうような交渉をしていました。


     私は仕事のことでやりあっても根に持たない、気にならないタイプなんです。だから多くの喧嘩はその理由を良く覚えていないんですが、「社員の雇用」について激しくやり合ったシーンだけは、

    パッと頭に出てきますね。

     

    タイガー)どんなことだったのでしょうか?

     

    石田社長)弊社では、私の思いから13年ぐらい前より新卒の技術者雇用を始めたんです。しかし経営の一翼を担う父=会長は「倍以上に膨らんだ社員数は、会社の身の丈を超えているのでは?」と、経営バランス重視で考え、一方の私は「新しい人材がもたらす将来性に重きを置く」という考えでしたので、この二人の話が交わることはなかなかありませんでした。

     しかし月日が経ち、この業界の人手不足が大きな問題になり、外国人も多くかかわるようになってきた頃に、私が行ってきた採用実績を踏まえ、父がオフィシャルな会で「若い日本人技術者をきちんと採用し、それを核に人を育てていきましょう」と発言してくれました。その時は「ああ、私の仕事を見てくれていたんだなぁ」、と気持ちが晴れ晴れとしましたね。

     だからでしょうか、その若い技術者たちと会社の旅行などで楽しく過ごしている父の姿を見るのは、嬉しさもひとしおに感じたものです。

     

     社長を任されて、会長である父と仕事の話をする毎日ですから、実は親子の会話ってほとんどしていないんです。呼び方だって弟である常務(石田信次様)のことは「しんちゃん」と呼ぶのに、私のことは「社長」「信長」としか呼ばない。余談ですが初対面の方には、必ずこの名前のことを聞かれますね。実は父がお寺の出で、そこは歴代「信」が付く名前だったものですから。けど・・・、そうだとしてもですよ、子どもに「信長」って名前を付けちゃいますかね(笑)。自分自身は「歴史上の人と名前一緒だなぁ」と、思うぐらいで。自分で付けた名前じゃないから、特に何とも思わないですけど。

     話は戻りますが、「社長」「信長」のことですが、きっと会社のことを考え、無意識に距離を取っていたのかもしれませんね。

<若い方への教育について>

石田社長)私は自分が職人じゃないものですから、正直作業のこととかは分からないんです。ものつくり大学の学生にも「技術的なことは聞くな!」って言っていますから(笑)。そこは伊東先生(前回ご登場いただいた東京志村の伊東社長)達の出番です。私は大学では各曜日にまたがって、講師によって授業内容の差が出ないように俯瞰で見る、12人の講師を横でつなぐような役割を担っています。


 若い方への教育って、絶対に必要ですよね。理想を言えば幼少期からどこかで内装について触れられるような仕組みがあり、やがて大学で内装を学び、卒業して技術者となる。この話、今はまだ「夢」ですが、そのうち「現実」にしなきゃならないことだと思っています。この業界の教育と人集めは急務です。今は工業高校ですら正しい内装技術を教えられる先生が全くいないような状態ですから。

<お仕事でのこだわりを教えてください>

  • 石田社長)自社で技術者を育成している、ということと、会長が仕事の品質や職人の所作にうるさい人だったので、それを踏襲している、というところですね。

     例えばうちの職人はほうきと塵取りをいつも持って、現場を綺麗に保つことを心掛けています。「品質」「安全」「必ず満足していただけるしっかりとした仕事」については自信をもってお納めできる会社です。安くて早いけど中身はちょっと、という会社とは一番対極です。うちは品質を保つために工事管理をしっかりやるという意識が職長さんたちに根付いていますからね。

     あとは、協力会のメンバーが皆さん素晴らしい。問題提起なども率先してやってくれます。本当に頼りになる素敵な仲間です。

<東和様の“吉野愛”をお伺いいたします>

石田社長)弊社は内装業ですから吉野さんとはそれこそ創立以来、50年もの長いお付き合いがあります。吉野石膏は建材メーカーとしては群を抜いて大きな会社ですから、その影響力も大きいので、その力を正しく使って欲しいと切に思います。シェアにも裏付けされていますが、商品の精度も高く、供給体制もピカいちの吉野さんだからこそ、堂々と業界全体のために引き続き動いていただきたいと吉野愛を込めてお伝えします。

 

タイガー)いつも貴重なご意見をありがとうございます。

<インタビューを終えて>

 応接室だけでなく、会社の入口にも飾られていた、亡くなられた会長と専務のお写真。お仲間からプレゼントされたという、中折れ帽姿のお写真にまつわるエピソードを、石田社長は楽しそうにお話されていました。

 

「大切にしているものは何ですか?」 この問いに対する答えを聞くと、その方の本質が見えてくることがあります。


「正義感の強い父」「息子という立場でなければ、父という人物の大ファン」 と、お父様のことを熱く、熱く、お話しされていた石田社長。 


 素敵な関係をたっぷりと聞き終えた帰り際、入口に飾られたお写真に向かって、「会長は多くのものを息子さんに残されましたね」 と、微笑んで語りかけたタイガーくんでありました。

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