小泉木材株式会社 様
第七回 小泉木材株式会社 様
永らく吉野石膏の商品をご愛顧いただいている
お取引先様のお気持ちを“吉野愛”という言葉に
置き換えて、そのお心をお伺いに回る
タイガーくんの“吉野愛”をたずねて。
お仕事への思い、商品への思い・・・。
さて、どんなお話が飛び出すでしょうか!?
企業プロフィール
会社名 : 小泉木材株式会社 様
住所 : 神奈川県横浜市都筑区川和町101番地
代表者 : 代表取締役 小泉 武彦 様
会社設立日:1946年7月
事業内容 : 木材・建材・住器及び住宅関係資材販売 製材・加工業 建設業 神奈川県知事登録(般)1642号 一級建築士事務所 神奈川県知事登録第6372号 不動産貸付業
第7回のお客様は、神奈川県横浜市にある
小泉木材株式会社 代表取締役社長の小泉武彦さんです。
外壁が全て木で覆われている姿が印象的な本社社屋と倉庫。
そこにたくさん詰まっている「お仕事へのこだわり」をお聞きいたしました。
<KIZUKIという言葉>
タイガー)まずはお名刺やHPに掲げていらっしゃる「KIZUKI」という言葉から教えてください。
小泉社長)うちは昔から材木を扱う仕事ですが、十数年前にその仲間内で、「工務店さんの勉強会をやろうよ」という声が上がったんですね。こういう時って形から入るもので、「まずは、勉強会の名前を決めよう!」となり、その中で出てきた言葉のひとつがこの「KIZUKI」でした。
この音には「木が好き」と言う意味はもちろんのこと、建物を作る「築き」、あとは「気が付こう」とか「考えよう」とか、自分にとって合点がいく意味が沢山込められています。
その勉強会が始まって、新築事業も順調に推移していく中で、日増しに自分の中で思ったことがありました。それは、「“小泉”という名前が会社に付いていると、やはりお客様が“小泉さん”に仕事を頼んでいることになってしまうのでは?」という疑問でした。
しかし、実態は違いますよね。僕らは十数人でやっている会社、そのチームワークがあるからこそ成り立っている仕事で、決して小泉ひとりでやっているわけではない。だからお受けする組織に「小泉」と名が付いているのを変えていきたいなと思ったんです。
チームのブランドとして仕事をお引き受けする。それ以来「KIZUKI」というブランドを定め、新築事業はそのブランド下で行っている、ということなんです。
<しがらみを断ち切って>
小泉社長)当社は工務店業として、私で3代目、77年続いている会社です。
私が社長になったのは8年前ですが、ある程度舵取りを任されてからは14~15年ぐらい経ったかと思います。一般論としてですが、都市部の材木業者は昔から広い土地を持っていて、そこに商業ビルを建て、ビルの収益に頼りながら、1階部分で細々と材木業を続けている・・・というところが多く、うちも先代まではそうだったのかもしれません。
利益は出ているが、成長性や、将来を見据えた動きのようなものは殆どない・・・。
私は様々なしがらみも含めてこれらを断ち切り、変えたいと思いました。そのために横浜駅西口前という賑やかな場所にあった本社をこちらに移転して、拠点を構え直した、というわけです。駅前のような場所で材木屋をやっていても意味無いよな、と思ったんですね。
<100年後も続く会社>
小泉社長)去年、ホールディングスを息子と一緒に作りました。息子は今17歳、私は47歳。これはかねてから「65歳で退任」と決めている私が、将来息子に会社を渡す日を想定しての「事業計画」なんです。
息子が26歳になった時に、今自分がやっている事業会社のひとつを任せ、小規模ながらもお金を動かす練習をさせ、そこから10年間のトレーニングを経て、36歳になった暁にはこのホールディングスを任せようかと考えています。
タイガー)建設関係では、何代も続く会社が多いのは事実ですが、ここまでしっかり将来を決めておられることについて、息子さんからの抵抗は無かったのですか?
小泉社長)この100年計画は弊社だけが勝手に言っているのではなく、国の方針でもある「100年住み続けられる家」がベースにあります。
今までのように建てて20年で価値がゼロになってしまうような家ではなく、長きにわたって代々住み継ぐことができる「100年住み続けられる家」なんです。
となると弊社が先に倒れるわけにはいかない。会社も100年持つ会社にしなければその責任が全うできない理屈になります。
息子が中学に入った時には「お前の人生、好きにして良いよ」と言ったのですが、その3年後には「お前の人生、もう選択肢は無い!」と方針変更(笑)。不満いっぱいの息子に、妻にも協力してもらいながら「申し訳ない。けど君の人生より大きなものを、私たち家族は背負っちゃっているんだ、すでに」と宣告しました。
しかし今でも年に15日ぐらいしか休みが無く、家にいる時間が少ない親父を見ていたら、若い息子はきっと「やりたくないなぁ」と思っているでしょうね。
タイガー)そんな息子さんには、どんな社長になって欲しいとお考えですか?
小泉社長)今までには良くありがちな「俺についてこい」というような牽引型ではなく、広く経営学やマネジメント学を身に付けて、みんなを下から支えているようなリーダーになって欲しいな、と思います。
<「100年住宅」にまつわる大切ないろいろ>
小泉社長)「手掛けた家の100年後も責任を持つ」、と決めているので、当然30年後、50年後はもちろんのこと、明日も、今日も、責任が生じています。つまり必然的にうちのスタッフは常に、心に「責任を持って仕事をする」という言葉を置いています。
多くの工務店さんは「真心」でメンテナンスをしています。一方でうちは月額500円という契約で、お金を頂いています。これはうちに真心が無い、というわけではもちろん無く、「真心はサービスゆえに揺らぐことがあるが、契約は対価を頂いた仕事なので揺らがない」、という心構えの表れなんです。
金額の多い少ないではなく、向き合い方の違いですね。そしてご要望があった時には、メンテナンスに駆け付ける。
この作業は歴史が長くなればなるほど「真心」だけではなかなか続けられません。弊社は「家を建てる」ことが仕事ですが、そこから始まる「戸建て住宅の維持管理業」が本業と言って良いぐらい、先々を考えている会社だと思います。極論ですが例えその家主が変わったとしても、僕たちはその家をずっと責任もって守り続ける、そんな気概で仕事に取り組んでいます。
タイガー)続いて、家づくりでのこだわりを教えてください。
小泉社長)100年持たせる家を考えていくと、結果的には「断熱」とか「気密」とか「構造」とかは大切なものだよね、となりますが、そこを入り口にして家づくりが始まるわけではありません。
・・・実は私、2010年に自宅を建てた際に失敗をしています。当時は「断熱」とか「気密」とかはそこそこやれば大差なんて無い、と思っていたんです。自然素材をふんだんに使えさえすれば健康住宅になる、と。
ところが、新築での暮らしが始まったその年の冬、子どもたちが夜、床に就くと決まってコンコンと咳をし始めたんです。僕はすでに原因が分かっていた。けど言えませんでした。「僕の家が寒い」だなんて。
プロである私が99%かかわった家でミスをしたなんて家族に言えるはずがない。そのことがだましきれなくなってきた頃に、「これって健康住宅なの?子どもたちの状態を見て!」と妻に訴えられ、僕は断熱に関する過ちを認め、改修工事をしました。
私は身をもって「家づくりを失敗すると、へたをしたら人を殺しかねないようなことが起きてしまう」と実感したんです。そこから試行錯誤を経て、今、私たちが建てる家は、(横浜近郊の場合)冬でも室温18℃を保てるような設計にしています。だからうちが建てた家はどれもこれも、光熱費が群を抜いて安い!ちなみにこの本社ですが、年間の光熱費、この大きさでいくらだと思いますか?信じられないでしょうが年間4万円です。月額じゃないですよ。
次に断熱性と気密性を進めると、今度は音の問題が出てくる。吸音しなきゃならないんですね。そうなると今度は設計での工夫が必要です。
例えば柱の大きさを1.5倍にして隙間をつくり吸音効果を高める、などですね。このように色々な側面から考えられたものを、「気遣いの木使い」で、感性豊かで、私たちと家づくりに対する思いがぴったり重なっている現場監督が指揮を執りながら、100年住宅は作られています。
うちのお客様ってどのビルダーさんのお客様よりも、かなりワクワクしながら竣工まで迎えられているのでは?と思います。それにしっかりワクワクしながら寄り添える、期待以上のものをお返しできる、そこで夢中になって働けるってことが、私の理想でして、私の周りにもそんな人たちが集まってきてくれたらいいなぁ、と思っています。
「自分以外の人の幸せのため」に働けたら仕事は楽しいですよね。最近ではこの理念に共感してくれた若者が、将来像を見据えて、この会社で一緒に働くことを希望して来てくれるなど、良き流れが生まれているような気がします。
<小泉木材様の“吉野愛”をお伺いいたします>
小泉社長)弊社の住宅の骨組みですが、ここは一度包むと解体までは解かない部分ですから、そこに水分が入らないように、万が一入っても速やかに抜けるように設計しています。壁の中の様々なケースでの水分量を解析した結果から導き出された、裏付けのある設計です。ここは吉野さんのEXハイパー(透湿性があり結露の発生が抑制される機能性ボード)の出番ですね。
また、私の家を改築する時に当時の営業マンから「ホルムアルデヒドを吸収分解する良いせっこうボード(※ハイクリンボード)がありますよ」と勧められました。だからうちのロフトを開けるとピンクのボードが見えます。
これ以外では音楽ホールを建築した時にスーパーハードを使うなど、用途に応じて機能性の高い商品を使い分けていますね。
<インタビューを終えて>
身振り手振りを携えながら、フレンドリーに自分の信念を熱弁される小泉社長。
「実は今、こんな計画立てているんですよ」とクシャっと笑いながら内緒話を教えていただける小泉社長。
偶然にも学校の後輩にあたる弊社営業マンを、弄りながらも可愛がって下さるやり取りを見て、思わず「アニキー」と呼びたくなってしまうほどの頼りがいを感じました。
何よりも小泉社長の百面相的な豊かな表情に、お人柄が滲み出ていませんか?
インタビューを終えて「100年経っても変わらない、愛溢れる会社、間違いなし!」と、確信をしながら帰路に就いたタイガーくんでした。