吉野石膏株式会社


株式会社 サンセー商会 様

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第九回 株式会社サンセー商会 様

永らく吉野石膏の商品をご愛顧いただいている
お取引先様のお気持ちを“吉野愛”という言葉に
置き換えて、そのお心をお伺いに回る
タイガーくんの“吉野愛”をたずねて。
お仕事への思い、商品への思い・・・。
さて、どんなお話が飛び出すでしょうか!?

企業プロフィール

会社名 : 株式会社 サンセー商会 様

住所 : 山梨県中巨摩郡昭和町飯喰1366-1

代表者 : 代表取締役 斉藤隆典 様

会社設立日:昭和61年5月1日

事業内容 : 内装仕上工事業

URL : http://www17.plala.or.jp/sanse-9151/

第9回のお客様は、山梨県中巨摩郡昭和町にある

株式会社 サンセー商会 代表取締役社長の斉藤隆典さんです。

真っ黒に日焼けされ、しかも贅肉が一切見当たらない、見るからにエネルギッシュな姿で私たちをお迎え頂いた斉藤社長。

「インタビューなんか受けちゃうと30人ぐらいから弄られちゃうなぁ・・・!」と満面の笑みの中、まずは「サンセー商会」という社名の由来からお伺いします。

<変化してきた「サンセー商会」社名の意味>

  •  斉藤社長)私の両親は共に静岡出身なのですが、山梨に移住したのち、父が建材工事の会社勤めを経て、そこから独立して夫婦で起業したのが「サンセー商会」です。屋号を決める際は、目指す業務内容からも、業態が特定されるような社名は避けようと汎用性の高い「商会」という単語を使うことをまずは決め、それに静岡の「静」、山梨の「山」、斉藤の「斉」、この「3つのS」から「サンセー」という名前を付けた、と聞いたんです・・・私が2007年にこの会社を引き継いだ際に。それを聞いた私の第一印象は「なんだ、これは!」と(笑)。

     

     そこで一旦その由来を封印致しまして、ある時から「誠心、誠意、誠実」の3Sに変えました。今はさも最初からこの意味だったかのように振舞っていますが、社是的なものは時代と共に変えるべきだとも考えていますし、実際に会社も変えていきたいと思っていますので、これで良いと思っています。懇意にしていただいている方にはこっそり本来の由来を暴露していますが(笑)。

     

     就職がらみの話で言いますと、「社名」というのはけっこう影響が大きい。直感的な格好良さというのでしょうか、希望してくれる本人も、また若い保護者の方も、会社の名前で是非を決めたり、イメージが左右されるんですね。そのためにも今後、社名は変える必要があるな、と感じています。

<サッカーとランニング>

斉藤社長)私は小学校3年生からサッカーに夢中になりまして、専門はDFなんですが、中学は県大会優勝、高校も県立高校ながら良いメンバーに恵まれ県大会3位という成績でした。大学は多くの事情の下、地元の山梨学院大学に進学し、そこでもサッカーを続けました。今は自分でプレーをすることはなく、子どものサポートに注力しています。

 

 身体を動かさなくなると、太ります。そんな時、10年ぐらい前なんですが、旅先で同業の先輩である東和の石田社長に「おい、走るぞ!」と誘われたのがきっかけでランニングを始めました。サッカーという走る競技をずっとやっていましたから、走ることには抵抗はなく、すぐに気持ちよさを感じました。ランニングは1時間もやると、体の中の血液が循環して全て入れ替わるような感覚に浸れます。頭の中も整理されて、リセットされるというか。ピーク時は年間走行距離3000km、今日まで通算すると22,000km!(笑)を走っています。フルマラソンのベストタイムは3時間19分、もう少し頑張りたかったですね。大切なのはここで止めないで、次のチャンスに向けて細くとも維持していくことだと思っていますので、時間が無い今でもランニングは続けているんです。

  • 22,000kmを刻んだ歴代ランニングウオッチ

<吉野石膏からの転職>

  • タイガー)大学を卒業され、初めに吉野石膏に入社された、と伺っています。

     

    斉藤社長)はい、子どものころから家業を通してせっこうボードを見たり、手にしたりして「吉野石膏」という会社のことは認知していました。就職を前に、この会社が持つ社会的地位や影響力などを知れば知るほど、特に建設業の中だったらどの場所に行っても、この名刺を持って歩けば決して無碍にされないし、自分が経験を重ねていく中での武器になると確信し、志望したんです。首尾よく入社が叶い7年間在籍した吉野石膏では「自由に仕事をさせてもらえたな」、という印象が残っています。もちろん、どんな仕事でもつきものの人間関係とか、大きな会社だからこそある、例えば自分の意志だけではどうにもならないようなことなどの、若い社会人が揉まれるようなことはありましたが、本当にいい経験をさせてもらったな、と感じています。

     

    タイガー)そして転機が訪れたんですね?

     

    斉藤社長)実はこのサンセー商会で仕事をしよう、会社を継ごうなどとは全く思ってもいませんでした。だからこそ、社名の由来にも興味が無かったんですが(笑)。

    ところが私なりにも家業の行く末を薄々感じていた時に、両親の体調や、業績や、当時の従業員のこととか、複雑な理由が絡み合って、父から「この会社を閉ざす」と聞いたんです。その瞬間、「閉ざす=倒産」と感じてしまったんですね。うーん、となると「関係者を詫びながら回る両親の姿」が頭に浮かんでしまいまして。自由な学生時代を与えてくれた両親にそれをさせるのは忍びないと。当時の私は吉野石膏での社会人としての経験や、国家資格(当時:二級建築士)も持っていたので、まずは家業に戻り、自分がその作業をやれば良いと考えました。もしダメでも、そこからリスタートすればいいやと。


     私は吉野時代の27歳で結婚したのですが、妻は吉野石膏という大企業の社員と結婚したと思っていましたし、会社員の妻としての暮らしを希望していましたから、大反対されまして。今でも納得はしていないでしょうね。そこから会社の都合にも合わせながら1年以上かけてその日を迎えることになりました。

<サンセー商会に入社してから>

  • 斉藤社長)山梨に戻ったのは2007年なのですが、そこから2年後の2009年秋に父から「市議会議員選挙に出る」と聞かされ、2010年の春に、父は市議会議員になってしまいました。その後2011年には3・11と言われる東北地方太平洋沖地震があって、自分たちが手掛けた建物も壊れる被害に遭った。となると、ここは契約うんぬんよりも、人道的に修繕に駆け付けなければならない。つまり会社として想定外のお金が必要になったんですね。

     そうなると金融機関との話し合いが多くなります。そこで言われたのが「斉藤さん、今のサンセー商会にお金は貸せないです。代表者のお父様が本業から離れてしまっていますから」という言葉でした。父がそのような状態で、専任主任技術者は私、という実態の中、社内で会議をして、次の代表者を募っても、誰も手を挙げてくれない。なぜって閉ざすことを前提に動いていた会社ですからね。そこでやむなく私が代表者になった、というのが実際のところなんです。

     

     この会社は実質2010年からは代表者が不在のような状態でしたし、まぁ、それを聞いた妻は大ブーイングです。会社の代表とはいえ、最初なんてアルバイト程度のお給料しか取れない状態ですから。金銭的な支えも含めて、ここを耐えて乗り切ってくれた奥さんには大感謝で、今でも呼び捨てではなく「〇〇さん」と呼ぶぐらい、全く頭が上がりません(笑)。

<昭和町での地域活動>

斉藤社長)私も子どもを持つ親の一人です。私はこの街の商工会青年部長を6年間務めたのですが、その時思ったのは「特筆するほどの自然も、特徴的な産業も無い」ということ。ただ、ここは振興開発地域なので「子育て世代」の人が多く、人口も緩やかながら増えてきている。そこで「もの」ではなく「人」に注視し、「この街に住み続けたい」「就職してからも帰ってきたい」と印象付けられるような何かを、子どもたちに向けて発信しようと考えました。そのひとつが「お仕事探検わくわくウォーキング」や「職人さん体験」です。特に建設業はややもするとおっかない人が多い仕事、という先入観があると思います。それを、仕事体験を通じて少しでも無くせたらな、とも考えたんですね。この時はうちの長男や次男が友達に声をかけて、楽しみながら集めてくれました。これは嬉しかったですね。また、これをやることで、受け入れ側の企業もインターンシップを実施する際の準備運動になるんです。その日に向けて企業も疑似体験するってことですね。

<こだわりの「会議室」「寮」「研修所」>

斉藤社長)良い会社にするためには自前の職人さんを育てる必要があるのですが、せっかく良い方がいてもしっかり管理できないとお話にならない。つまり施工管理社員を充実させないといけないんです。そのためには定期的な安全大会や勉強会が必要。だからこの広さ(定員42名)の会議室が必要だ、と思ったんですね。また、全国各地から若い方の入職申し込みがあっても受け入れられて、親御さんも本人も安心して働いてもらえるように「寮」が欲しかったんです。そこで会社の3階に3LDKの社宅を設けました。けど残念ながら弊社には7年で6人も入社してくれたのですが、なんと全員近所の方でして(笑)。

 

 この2つが整ったので、次は職人さんを育てるための設備です。

 施工管理者社員、技能職社員を採用しようと学校に求人票を提出しに行くと、「人を採る」ということに関して、建設業は他産業に先行されているな、と肌身で感じます。となると絶対的に必要なのは「どんな会社」で「どう育てられるか」を具体的にイメージしてもらえるような形をつくることです。同業の諸先輩方の会社を訪問したり、お話を伺ったりしている中で、自分の会社に必要な取り組みや施設は何かと考え、この現場体験ができる研修設備を作りました。今日は職人の2期生が研修しています。担当講師はうちの父です。また弊社では良い施工管理者、良い職人になるためには「研修はやるべき」、という考えで、ただ全て社内で教育係を賄うこともできませんから、きちんと予算を立てて社員を外部の研修に行かせています。これは弊社だけでなく全室協の加盟社全体にも言えることかな、と思います。

 特に建設業界では未だに根強いかもしれませんが、「習うより、慣れろ」、ではもう時代と異なります。これからはYouTubeなどもうまく活用して、専門工事業で必要なノウハウを動画で見ることができる。作業内容が分かりやすく解説されている、というようなことが必要と考え、今進めているところです。

  • 自慢の寮

  • 今日の講師はお父様

  • 実際の商品で手順・用語を覚えます

<サンセー商会様の“吉野愛”をお伺いいたします>

  • 斉藤社長)これだけは自信をもって言えますが、吉野の社員を経験して、吉野以外の建設業をやった人間だからこそ、吉野石膏という会社の価値が分かるんです。むしろ中にいる人間は感じていないかもしれませんね。

     退社してからも須藤社長、副社長からは業界団体の集まりに呼んでいただき、戸惑う私を、重鎮が揃うその真ん中にすっと置いていただき、一人でやるには相当な時間がかかったであろう多くの経験をさせていただくなど、本当に感謝しています。これは想像ですが、元部下だった私を「うちの若い人だから、宜しくね」的な感覚でご紹介いただいているんだと思うんです。本当にファミリー感のかたまりなんですよね。

     

     吉野石膏という会社は「今を変えることができる会社」だと思います。例えば規格の話ですが一気にメートル単位に移行するような、世論が求めている、けど複雑で力がいることを、えいやっ、と世の中全体を動かすような。それができるのは吉野石膏だけなので。

<インタビューを終えて>

 真っ黒に日焼けしている理由をお尋ねしたところ、「子どものサッカーに付き合ったり、朝走ったりしているからでしょう。通算で22,000km走ってます!」と笑顔で答えられ、「フルマラソンのタイムは?」とお聞きしたら、「3時間19分」というとんでもない数字が返ってきました。

今やれるベストを目指す。やるからには真摯に向き合う。そしていつも先を見据えて動く。

「建設業の待遇、境遇を変えていかないと、未来は無い!」

と熱弁される次世代のリーダーとのインタビューを終えて、

「素敵な先輩たちと共に、益々のご活躍を!」と強く願ったタイガーくんでした。

  • 42名収容の会議室

  • 書きなぐられた宝の山

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