吉野石膏株式会社


高取株式会社 様

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第十九回 高取株式会社 様

永らく吉野石膏の商品をご愛顧いただいている
お取引先様のお気持ちを“吉野愛”という言葉に
置き換えて、そのお心をお伺いに回る
タイガーくんの“吉野愛”をたずねて。
お仕事への思い、商品への思い・・・。
さて、どんなお話が飛び出すでしょうか!?

企業プロフィール

会社名 : 高取株式会社 様

住所 : 京都市右京区西院安塚町92番地

代表者 : 高取 利男 様

会社設立日:1950年(昭和25年)3月
      ※創業:1945年(昭和20年)9月

事業内容 : ①各種建築資材及び土木資材の販売          ②内外装・床・金属・防水・断熱・遮音等専門工事及び建築工事の企画、設計、施工

URL : http://www.takatori-web.co.jp

第19回のお客様は、京都府京都市右京区にある

高取株式会社 代表取締役社長の高取利男さんです。


事前にいただいておりました資料を拝見いたしますと、そこにはびっしりと吉野石膏の社員の名前が・・・。

しかし、その秘密は簡単に解けました。実は高取利男社長、吉野石膏のOBだったんです!

<吉野石膏から始まった社会人生活>

  • タイガー)本日はよろしくお願いいたします。早速ですがまずは御社の事を教えていただけますか?

     

    高取社長)はい。高取株式会社は建築、土木、左官の資材の販売と、住宅のサイディングや、ビルなどの壁・天井・床などの内外装工事を行う会社で、この京都で昭和20年に祖父が創業して以来、私が3代目の社長になります。


     商売的にはここ数年、良くも悪くもない、という感じでしょうか?どちらの会社もそうだとは思いますが、昨今仕入れ原価、資材の値上がりがありますから、仕入れと売り上げの伸び率がトントンといったような状況です。


     また、これもどちらの会社さんでも共通かと思いますが、社員が高齢化してきておりまして、新しい血をどう入れていくかというのが課題かなと考えています。新入社員も毎年のように採ってはいるのですが、様々な理由で定着していただくのに苦労しています。そのためには入社して1~2年までの段階で「あ、この仕事面白いな」と思ってもらうことが大切で、経営者としてはそこを感じてもらえるように工夫することがさらなるミッションなのではないでしょうか。この業界、4、5年も働くと、仕事の楽しさが分かってくると思っているので、そこまでの数年間が勝負なのかな、と思っています。

タイガー)ご家業として営まれていたわけですから、いずれはお父様から経営を継がれるという意識で接してこられたのでしょうか?

 

高取社長)実は多少紆余曲折がございまして。私がこの会社に入社したのは1982年です。事前の資料でもお伝えしましたように大学を卒業したのは1980年。まずは吉野石膏に入社いたしました。


 確かに「いずれは高取に入るのかな?」という意識は、大人になるにしたがって、どこかにはあったと思います。学生時代にはこの会社の倉庫でYNプラスターなどの袋物を担いで積み込みのアルバイトなどもしていましたしね。


 しかし、本音をいいますと実は私、大の旅行好きでして、卒業が迫り就職先を考えた時に「旅行会社に就職したいなぁ」という気持ちがあったんです。個人で旅行に行った時も「ああ、ここでこんな仕掛けや工夫をしたらお客さんはもっと喜ぶのになぁ」といつも考えているようなタイプだったんですね。ですから、就職活動では主に旅行会社を受けていました。今でも覚えていますのが近畿日本ツーリストの面接です。ここは外国人の方が面接官でしてね。都市伝説的に、もし英語の質問が分からなければオーバーアクションで「わかりませーん」的に応えればOKだ、みたいなのを聞いていたので、しっかりやったのですが見事に落とされましてね(笑)。


 阪急交通社の3次試験ぐらいの時だったと思いますが、まさに就職戦線たけなわの頃に、うちのオヤジが懇意にさせていただいていました吉野石膏の橋本さん(大阪支店長~当時総務部長)に連絡を取ったようで「おい、吉野石膏さんを受けろ」となりまして。それがご縁で入社に至った、というわけです。

<「吉野石膏」についてお聞きします>

タイガー)社会人1年生として入社された吉野石膏。どんな感じでしたか?

 

高取社長)今から40年以上も前の話ですが、当時はホテルの大きな和室大広間で3~4泊ぐらいだったかな、まずは缶詰になりましたね。缶詰の後は東京工場の寮に全員合宿です。石膏について知るための座学は、まぁ今でも当たり前かなと思うのですが、それ以外では配送トラックの横に乗って一緒に配達に行き実際にせっこうボードを降ろしたり、座禅研修をしたり・・・。今考えると素人同然の新入社員に現場をうろうろさせるだけではなく、大切な資材であるボードを扱わせるなんて、隔世の感がありますよね。


 しかし、合宿には楽しい思い出がいっぱい残っています。持ち手がついているようなウイスキーの特大瓶をお金を出し合って購入し、夜な夜な、座の真ん中に置いて飲み明かしてね。同期は男子だと20人ぐらいかな、それがものすごく仲良くなるんですよ。おかげで昼間の研修は眠くて仕方なかったですけれども(笑)。


 この写真はね、平成10年、長野オリンピック後なんですが、須藤永一郎社長が寄贈された証が刻まれているものがあると聞き、「よし、長野まで見に行こう!」と同期で企画したツアーなんですよ。これ以外にも、いっぱい写真があります。ご覧になりますか?


 (ここから次々に思い出の写真が登場し、インタビューが中断!)


高取社長)これなんか関西YN会があった頃の済州島での写真です。須藤永作社長のオフショットなんて珍しくないですか?当たり前ですが若いですし、これを見ると潮副社長とご兄弟似ていらっしゃるんだなぁ、と思ったりします。しかし写真を見ていただいてお察しの通り、私はムードメーカーと言いますか、こういったところでは弾ける役割でして、おそらく永作社長のスマホには私がもっと弾けている写真が残っていると思います(笑)


タイガー)お仕事でも多くの影響を吉野石膏の社員から受けている、と伺いました。


高取社長)はい。社会人1年目の私に色々なことを教えてくださいました。吉野石膏に入って最初に驚いたことは、当時の永一郎社長が主催された会です。石膏会館という料亭に一般職の新入社員が10名ぐらい呼ばれ、社長と差しでお酒を飲むんですよ。そこでは一芸を披露するしきたりがあって、私は加山雄三さんの歌を歌った覚えがあります。今考えるとお客様との酒席で粗相をしないように、お酒の飲み方や宴席での振舞を習う場所でもあったんですね。その会のおかげで同期との距離だけでなく、雲の上に感じていた社長との距離が一気に縮まった、という実感がありました。


 関口顧問からは「お客様との距離感」を実戦で学びました。親しみを持って接してはいるものの、決して馴れ馴れしくはしないで、時折ぎゅっと懐に飛び込んでいく姿は新卒の私には驚きでした。私が退社して、関口さんが当社の担当になられたことがありました。その時に私が使っていためくり式のあいうえお順に電話番号を記してある電話帳の、吉野石膏の競合社の電話番号の上に「ダメですよ」という関口さんの筆跡と共に×印が付いていましてね。ユーモアの素晴らしさと、腹を掴むっていうのかな、これはスゴイな、やられたな、と感じたことがありました。


 DDC島崎取締役と営業同行でご一緒したことがありまして、島崎さんが突然、デパ地下に寄るんですよ。何をするのだろうと横目で見ていると、先方の社長さんや担当者だけでなく、事務方の経理担当者とか、倉庫の方に手土産のケーキなどを買っている。それも「こんなの大したことないよ、当たり前だろ」的な素軽さで。・・・学生では絶対に分からない、大人の気遣い、振舞いがめちゃめちゃ格好良く見えました。


 また、石井元取締役からは「吉野石膏から買っているんじゃない。石井から買っているんだ」というお客様を引き継ぎ、石井さんと同じような信頼をお客様から得るまで、ほぼ毎日通いこむという、営業マンの基本を習いました。これ、場所が福生でしてね。本社から遠くて大変だったということもあり、なおさら心に残っています。


 他にも枚挙にいとまがありませんが、どれもこれもが社会人ホヤホヤの私には強烈な憧れで、今でも仕事の礎として心に根付いております。

  • <当時の思い出の写真をみながら>

  • <退社後も同期と親睦旅行に (左から)高取社長、大久保、保崎、佐藤、小林、山本、唐品>

  • <須藤永作副社長(当時・現社長)との2ショット>

  • <永作社長の貴重なピースサインを発見>

タイガー)吉野石膏の商品についてはいかがでしょうか?

 

高取社長)耐遮会の会長を仰せつかっている中で感じるのは、耐火・遮音に関する商品力の高さには感心する事しきりです。


 一方で職人さんたちの高齢化にもかかわってくることなのですが、機械化、これはこれからの課題なのかな、と考えています。メーカーの吉野さんがやるというよりはこれはゼネコンさんの仕事かもしれません。ゼネコンさんでは実際にテストもされているようですね。近い将来には夜、機械にせっこうボードをセットして現場から帰ると、翌朝にはロボットの手によって全て張り終えている・・・・。そんなスタイルが確立したら良いなと願っています。

 

タイガー)機械化は人手の問題を抱える建設業界全体の宿題かもしれません。本日は長時間、ありがとうございました。

<インタビューを終えて>

今回のインタビューの最中、一番身を乗り出されてお話にされたのは「高取社長お勧めの旅行先」をお伺いした時でした。

 

「サイパン、すごくいいんですよ。日本から近いし、ピストルもっているような輩もいなくて安全だし。けど、関西からの直行便が無くなっちゃって行きにくくなっちゃったんですよねぇ・・・。コロナ以降は行けてないんですよねぇ・・・。おまけに円安ですしねぇ」

 

コロナ禍が一段落を告げ、愛用の手帳に「サイパン休暇」と書ける日が早く来ますように!

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