吉野石膏株式会社


株式会社 大陽商会 様

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第二十一回 株式会社 大陽商会 様

永らく吉野石膏の商品をご愛顧いただいている
お取引先様のお気持ちを“吉野愛”という言葉に
置き換えて、そのお心をお伺いに回る
タイガーくんの“吉野愛”をたずねて。
お仕事への思い、商品への思い・・・。
さて、どんなお話が飛び出すでしょうか!?

企業プロフィール

会社名 : 株式会社 大陽商会 様

住所 : 和歌山県岩出市高塚232番地

代表者 : 代表取締役 田中秀和 様

会社設立日:1969年(昭和44年)4月4日

事業内容 : 軽鉄・各種ボード貼 他内装仕上げ工事

URL : http://taiyo.ecnet.jp

第21回のお客様は、和歌山県岩出市にある

株式会社大陽商会 代表取締役社長の田中秀和さんです。


インタビューが始まる際にも、必要な椅子をご自身でさっと持ってこられるなど、端々に目配りと気遣いが感じられる田中社長。

事前にびっしり書いていただいた資料にもお人柄と熱量がうかがえました。

<御社のことをお伺いいたします>

  • <毎年購入していたバートンのスノーボード>

  • タイガー)御社の社名ですが、通常なら「太陽」かと思うのですが、なぜ「大陽」なのでしょうか?


    田中社長)「、」のことですよね。創業者で先代である両親がつけた社名なんですが、特に母は字画を見るのがすごく好きでして・・・。意味としては「太陽」なのですが、画数を考えて「太陽」ではなく「大陽」にした、と聞いています。当然、私の名前「田中秀和」も練りに練られていまして、字画的に完璧な名前なんです。・・・お陰様でお金には困っておりません(笑)。


    タイガー)田中社長で2代目、ということかと思いますが、この会社に入られたきっかけを教えてください。


    田中社長)はい。私は高校(智辯学園和歌山)までは和歌山にいまして、そこから東京の大学に参りました。大学時代は「私をスキーに連れてって」をきっかけに、年間40日もスキー場にいるというほど当時はしりだったスノーボードにはまり、毎年バートンという有名ブランドの板を購入するぐらい凝っておりました。

 これにはエピソードがありまして、毎年買っていたヘビーユーザーだったからでしょう、バートンの上顧客サプライズの一環として、創始者のジェイク・バートンから「一緒に北海道でスノートリップしよう!」という電話をもらったことがありました。その時はちょうどこちらの会社に戻ってきたばかりの時で、残念ながら仕事で休めない!と断ってしまった、今でも残念至極、すごく後悔している思い出があります。


 東京での就職先は不動産の大手デベロッパーである東急不動産です。物を建てるというか、ゼロから作るという仕事に憧れがありまして、オーダーされたものを建てる仕事であるゼネコンさんよりは、自分で計画してできる、しかも文系でもできると思い、デベロッパーであり、都市開発などの仕事もできそうな大手不動産会社に興味を持ったんです。その中でも「営業の仕事」をやりたくなかったものですから、販売部門が別組織(東急リバブル)になっている、という理由で東急不動産と言う会社を選びました。つまり、この大陽に戻ることや、将来戻ってから吉野さんと仕事する時に役に立つだろうというような観点は全くなく(笑)、「自分のやりたい仕事ができる会社に就職した」ということなんです。


 東急不動産では昔で言う等価交換、今で言う再開発の事業部などで29歳ぐらいまで働いておりましたので、学生時代を含めますと東京で10年ぐらいを過ごした、ということになります。私は兄と12歳差、姉と10歳差でして、東京に働いている時も時折実家の家業が気になるものの、「まぁ、なんだかんだ言っても兄が継いでくれるだろう」と考えておりました。しかし、ある時に兄が会社を継がない、姉の御主人もやらない、ということが発覚し、「このままでは会社を畳むことになってしまう」と母から泣きの電話が入ったことで状況一転、妻も賛成してくれたこともあり、私が呼び返されるようなかたちで2代目を継ぐ流れになった、というわけです。

タイガー)いきなりある意味畑違いの会社に戻ってこられた。ご苦労が多かったのではないでしょうか?


田中社長)まぁ、吉野さん皆さんのご苦労に較べたら大した苦労話ではないかと思いますが、どっぷりとサラリ-マンをやっていた人間からしてみると、会社を経営する立場になるというのはやはり気苦労の連続でした。そもそも気の張り方そのものも違いますし、東京の大手企業での仕事では「1+1の答え?2に決まってるでしょ?」で間違っていないのですが、関西の商習慣だと「え?ほんまに2か?」と間髪を入れずに返ってくるような感覚と言いますか(笑)。


 得意先を訪問するのだって、関東は用があるから行く、関西は用は無いけど「毎度っ!」と、とりあえず顔出しとく的な。関東式の人付き合いに慣れてしまっていた自分にとっては、これはしんどいことでした。こちらは人と人の繋がりであるとか、義理人情の大切さとかが全然違う。特に地方はどこもそうですが、和歌山なら和歌山という地域の、知り合いの中で商売が回っていく。となると高校時代=自転車距離ぐらいまでしか地元を知らない私にとって、県外からの通学者も多い学校でしたし、和歌山は地元といえども知らない人だらけの場所だったんです。


 他には不動産会社からこの仕事にきてびっくりしたことは、何百円という単位で見積もりが成り立っているってことでしたね。これが積み重なって、改めてマンション開発のような大きな単位になっていくんだなぁ、と実感しました。東京では坪100万円を「じゃ、85万円にしてよ」みたいな商売していましたのにね。

タイガー)今のご商売についてお伺いいたします。


田中社長)うちはもともと建材、しかも側溝のグレーチングなどの土木資材を扱う会社だったのですが、吉野さんのせっこうボードや、合板などの新建材を扱いだすと、「一緒に工事もやって欲しい」という声が上がるようになりまして、今となっては工事業が99%を占める会社となっています。


 社長になったのは38~39歳ぐらいですから10年ぐらいの助走期間があったわけです。父からは社長業を習うというよりは、人を紹介してもらう、といった感じでした。ところがまぁ得手不得手もあるのかもしれませんが、先代と同じやり方ではその人の上に行くことはできない。しかも、父の友人を引き継ぐって、なかなか難しいじゃないですか。そこで、私ならではのやり方を見つけようと思い、私は「一度お仕事をいただいたゼネコンさんを大切にして、そこから再び発注をいただけるように繋いで行こう」と考えたんです。となると何が必要か。それは「施工の提案をきちんとできること」だったんですね。施工方法や建材をしっかり勉強して、良いご提案をする。だから吉野さんとの会話が多くなったんです。


タイガー)ありがとうございます。


田中社長)いつも吉野さんに細かいことや、工法をよくお聞きするのはこうした理由があったんです。吉野さんに聞くと難しいことでも時間をかけてきっちり教えてもらえる。だから「吉野さんにはお世話になっています!」と大きな声で言うことができるわけです。

<「吉野石膏」についてお聞きします>

田中社長)吉野さんに言うことは「いつも質問が細かくて、電話も何回もしつこくしてゴメンね」ですね。


タイガー)とんでもありません。ご質問の内容がいつもかなり専門的で濃いので、お答えにも力が入ります。私どもも勉強させていただいている状態です。

 

田中社長)私は職人ではありませんから、自分が施工作業をすることはできません。しかし、吉野さんを始めとした、弊社が扱っている建材、そして施工方法については、私は職人さんを指導できる知識を身に付けるべきだと思っているんです。ですからある程度調べてから、それでも分からないことをお聞きすることが多いのですね。


タイガー)本当に確認が必要な、高レベルなご質問が多いのです。これは本当にありがたいことです。


田中社長)吉野さんの細かい規定、例えば耐火間仕切りなどですが、これを職人さんの習慣的や感覚的なものではなく、100%きっちり決められた通りに施工させる。これをつきつめてきっちり仕上げる会社になりたいですし、知識があればより安い方法やより性能の良い施工法をお客様にもご提案することができるという利点もあるわけです。これをきちんとやるのがうちの会社、大陽商会の仕事です、と認められないといけません。そのためには使う建材がとても大切でして、信頼できる商品でないとお客様にも自信をもって、責任を背負ってお勧めできない、ということになります。そこで、しっかりとメーカーさんを選定させていただく。すると昔は他社さんも扱っていたのですが、これは吉野石膏さんの商品が欠かせないという結論になり、今日に至るんです。


タイガー)ご信頼にお応えできますように、これからも誠心誠意やらさせていただきます。ありがとうございます。

  • <吉野石膏の担当者と>

<お仕事の中で大切にされていること>

  • 田中社長)お取引先の方に仕事のやり方で「お前の良さを分かる人がいるから、やみくもに強くアピールしなくても良いんだ」と言われた時は本当に肩の荷が下りた気分がしました。また、「親切は人のためにあらず」を科学的、心理的に証明した「GIVE and TAKE」という本がありましてね。そこには「最終的に一番得するのはGIVERつまり与える人だ」と書いてあるんす。私はGIVEを搾取されないように「5分間ルール」というのを決めていまして、5分間でできる親切やお世話、例えば電話1本かけてご紹介するようなことをしっかりやっています。

<インタビューを終えて>

田中社長)父が亡くなってからは自分の想いを試行錯誤しながらやっていますが、経営状況が許すかぎり「しっかり給料を払う」ということを心がけています。


 私、ボーナスの時期になるとボーナスを「払う」のが楽しみなんですよ!うちはボーナスだけ現金払いしていましてね。一対一で面接して「今期の貴方は、会社に対して黒字、つまり貢献度が高かったです!」と伝えながら手渡しします。会社や自分にお金を残すよりはずっと良いと思うし、それが払えるのは何よりも社長としての成果の証なんですよね。例えば帯封付きの「袋が立つ」ようなボーナスを手渡しすることが自分のモチベーションを上げることにつながるんです。お金って人のために使えると、幸せにつながるんじゃないでしょうか?



これからもいっぱいお給料を払って、多くの方と幸せに向かって一直線に。

益々のご発展、ご繁栄を心よりお祈りしております!

  • <倉庫に設営されたボルダリングの壁>

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