吉野石膏株式会社


株式会社道下工務店 様

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第二十二回 株式会社道下工務店 様

永らく吉野石膏の商品をご愛顧いただいている
お取引先様のお気持ちを“吉野愛”という言葉に
置き換えて、そのお心をお伺いに回る
タイガーくんの“吉野愛”をたずねて。
お仕事への思い、商品への思い・・・。
さて、どんなお話が飛び出すでしょうか!?

企業プロフィール

会社名 : 株式会社道下工務店 様

住所 : 広島県福山市南蔵王町1-2-25

代表者 : 代表取締役社長 道下 幸治 様

会社設立日:1961年(昭和36年)12月28日

事業内容 : 総合建設業

URL : http://www.michishita1956.co.jp

第22回のお客様は、広島県県福山市にある

株式会社道下工務店 代表取締役社長の道下幸治さんです。


一級建築士の目線から、とことんこだわった家づくりに注力されてきた道下社長。

会社の敷地内には一度見たら絶対に欲しくなる、道下社長の理想が詰まったモデルルームがありました。

<始めに学生時代のことをお伺いいたします>

  • 道下社長)私は1963年、上が姉二人の3人姉弟の末っ子として生まれました。父は私が生まれる前の1961年からこの会社を興しており、私は2代目になります。上の姉とは12歳離れており、当時は男が家業を継ぐというような風潮でしたから、もし私が生まれなかったら1代で仕事を終えるぐらいの覚悟の中で生まれた待望の男子だったようです。


     しかし実際の暮らしの中では「将来は家業を継いで欲しい」というような話はただの一言も出たことが無かったんです。その理由は、姉二人の中で育った末っ子だったせいでしょうか、「あなたは優しい性格だから、商売はできないでしょ。だから好きなことをやりなさい」と、特に母に思われていたようです。


     一方で、私の中では子どものころから実在の建築家の方への憧れがありました。その方とはテレビのコーヒーのコマーシャルで「違いがわかる男」として登場していた建築家の清家清(せいけ・きよし)さん。家が建築の仕事をしていたその影響を受けたのかどうかは分かりませんが、子ども心に「ああ、建築家ってすごいんやなぁ」「自分も将来は建築家になりたい!」という意識が芽生え、育っていたようです。

 「物造り」に関しても小さなころから好きでして、特にプラモデルは夢中で独自のやり方を模索し、カラーリングを施しながら、凝りに凝って作っていました。そんな中高時代を経て、大学は建築学科だけを選んで受験いたしました。多分両親は私のその選択をにんまりしながら見つめていたのでしょうね。もともと高校時代から麻雀狂いをしてしまうような真面目なタイプじゃなかったものですから、いや、大学では心機一転勉強しようとは思っていたんですよ、いたんですけど、途中までは大学での理系の勉強がつまらなくて、学生の半数近くが留年するような環境の中で3年生ぐらいまでは色々と葛藤しておりました。


 しかし3年生の後半ぐらいだったかな、その辺りで私は覚醒しましてね、様々な建築の本を読み漁るなどこの世界の勉強に没頭し、4年生の時は関西を中心に国内の色々な建築物を実際に見て歩くようになり、ついには卒業前に行き帰りのチケット以外は持たないバックパッカーとして、地球の歩き方を片手にヨーロッパを1か月、スペインの天才建築家、アントニ・ガウディのサグラダ・ファミリアをバルセロナで見るなど「有名建築物を訪ねる旅」をしました。ヨーロッパ建築ってね、石を重ねたゴシック調が多く、多く見ているとだんだんと飽きてくるんです。そこでフリーの旅の気楽さで新進気鋭のイタリアの建築家カルロ・スカルパの建てた斬新なものをバス乗って見に行ったりしてね。今から40年も前の話だから当時としてはもの珍しい、変わったヤツに見られていたと思いますが、この旅はすごく面白くて、目をキラキラさせている時間の連続でした。

<大学卒業から社会人に>

タイガー)卒業されて、すぐにこちらの会社に入られたのですか?


道下社長)それがそうじゃないんですよ。大学をちゃんと4年間で卒業し、いざ就職となると世の中はまだバブル前の不景気で、なかなか大変な時だったんです。一方で幸いなことに家業が自営だったため、将来の安定を求めた就職活動をする必要がなく、「自分の力を付けたい」という目的だけで就職先を探し歩くことができたんですね。職種としてはゼネコン、デベロッパー、ハウスメーカーなどの建築系ばかりです。


 そんな中である設計事務所が気になり、訪ねたんです。すると初めは「君は実家が工務店だから、設計事務所に来ること自体が違っているよ」と断られたんですね。しかし私はその会社と社長に魅力を感じ再交渉、「なんとか採用してください」と再び懇願しに行きまして、願い叶ってそちらに就職することができたんです。


 社長はすでに亡くなられてしまったのですが、東大卒で、頭の回転が速くて、おまけに商売感覚も研ぎ澄まされている人でしてね・・・。一緒にお得意さんのところに行きますでしょ。すると「社長と打ち合わせしていると、自分の心の中を全て見透かされているような気がします」とお客様が思わずおっしゃるような力のある方で、とにかく仕事のイロハから全てを教えていただいた、間違いなく人生の恩人の一人だと思っています。しかも、若造にも仕事をやらせてくれる人だったんです。10人もいないような事務所だったからでしょうか、1年目からどんどん図面を書けってね。だから即実戦で先輩の技術を教えていただきながら沢山の経験を積ませてもらいました。入社3年でやらせてもらった大阪の物件は今でも心に刻まれていますし、お陰様で私は実戦の中で知識を増やしながら入社2年目で一級建築士の資格を取ることもできました。

  • <設計事務所入社3年目に設計した大阪の物件>

タイガー)その設計事務所から、こちらに移られました。今日までの事を、色々教えてください。


道下社長)設計事務所では新卒以来、充実した5年間を過ごして参りました。しかし父が63歳のある日、達ての話として「会社に戻ってきて欲しい」と急に私に伝えてきたんです、今まではただの一度もそんな話をしたことが無かったのに。「では話だけでも聞きます」と父に会った時に、おもむろに頭を下げられましてね。その姿を見たら心が動き、断れなくなってしまいました。そこで勤め先に報告をし、そこから1年間の猶予期間をいただきまして、この道下工務店の人間になりました。


 設計事務所と工務店では同じ建築の仕事でも様々な価値観が違うため、最初はそのギャップに驚きました。公共工事以外の住宅の仕事では、安さを求めるのか、究極を求めるのかでも向き合い方が変わってきますよね。イノスグループの一員として住友林業とパートナーシップを結び、資材や最新技術の提供を受けたり、イベントからご縁ができたお客様の施工もさせてもらう中、一方では、ハイクラスな個人住宅として設計的な考えを理解してくださる施主様の下、広告宣伝もかけながら高級住宅にも腕を揮って参りました。


 先代は業界の人気者でしてね、誠実な人柄と仕事っぷりから、どのお客様からも悪口一つ出てこない人でした。「あなたのお父さんにはお世話になりました」とどこを訪ねても言われる。それが自分にとってはプレッシャーでしたね。社長を引き受けた時は私も28歳でしたし、会社の規模も十数人でした。私が色々やるたびに新しい手法に対して反対の声などが良く上がったのですが、しかし結局、有難いことにその頃からのスタッフは誰一人辞めずに今でも残ってくれていますし、だからこそ人と一緒に会社が成長できているのかなと思っています。いやぁ、作業中のラジオ禁止とか、茶髪禁止とかね。今となっては穏やかに話せますが、当時はベテランの大工さん中心に、険悪な雰囲気になることも本当にあったんですよ!


 これ、思い出に残る仕事なんですが、福山駅前にある企業様の本社ビルの仕事をやらせてもらえたんです。県内でもトップクラスの立派な会社からのご依頼ですし、金額も当時の会社全体の年間売り上げより大きい仕事です。もう陣頭指揮で納めさせていただいたんですが、自信にもつながりましたし、今でもこのビルの前を通るたびに心に来るものがあります。


 私は誰にも負けないぐらい手掛けている建物のことを考えるタイプですから、現場やお客様とやり取りして形にしていくことが本当に好きでしてね、だから仕事が全く苦にならないんです。ほとんどの現場に頭を突っ込みながら続けてきた32年の社長業を集約すると、何よりも難しいのは人を育てること。これはこれからも続く永遠の課題です。この会社も行く行くは息子に継がそうと思っているのですが、私の時とは真逆で高校時代に「将来は会社引き継いで」と申し伝えてありますし、息子もそれを理解してくれたのか文系から始まった学生生活も最後は建築学科を卒業してくれました。なんか嬉しいですよね。

<敷地内にあるモデルルームについてお伺いします>

道下社長)これは先月建てたばかりのモデルルームです。「オーガニックハウス」って言いましてね。なかなか高価ですからこの通り建てるのは難しいかもしれませんが、米国フランク・ロイド・ライト財団の「有機的建築」の理念を形にしたものです。人間の生活と自然界の調和。建物だけでなく家具や周辺の環境までもひとつにした、本当に住みやすさを感じる安らぐ家です。これを手掛けることで、こちらも勉強させられることが多いというメリットもあるんです。

  • <平屋とは思えない佇まい>

  • <生活の中心にキッチン>

  • <高く、空を感じられるリビング>

<「吉野石膏」についてお聞きします>

道下社長)そりゃ吉野さんはせっこうボードのオンリーワン企業のようなもんですからね。吉野さん=せっこうボード、といったイメージでしょうか。うちの中のシェアも吉野石膏100%ですしね。この本社建物だって高性能で、仕上げ材に対する自由度が高く、日本の風土に最適の「デラクリート」をいい材料だと見極めた結果、使っています。


 私は経営者でありながらプレーヤー気質なので、お客様により良いご提案ができるように建築に関する新しい情報をいつも入れたがるタイプなんです。だから吉野石膏さんがやられているイベントでも積極的に情報を取っていますね。極端に原価が上がらないなら、特にうちのような規模の会社なら、機能性が高い商品を取り入れたほうが良いに決まっています。吉野さんの商品は「デラクリート」だけでなく耐力面材「EXハイパー」と床材「スーパーハード」、そして「ハイクリンボード」なども積極的に採用させてもらっています。


 最近は非住宅で「木」が増えているので、そうなると耐火ですよね。二重張りするとスペースを食ってしまうので、どこまでの性能にするかを考えながら、松竹梅とお客様に提案しているような状況です。結果、お客様の要望で準耐火仕様になることもあります。すると他の規制との兼ね合いも出てくる。総合的なアドバイスをする必要があるので、商品と施工方法の知識は絶対に求められるんですね。どこかに二重張りにしなくてもいい耐火材ないですかねぇ・・・(笑)。


タイガー)せっこうボード1枚張りだとボードの目地部から熱が漏れるなどの弱点もあるので、二重張りとなります。


道下社長)おお、なるほどねぇ・・・。しかし非住宅で木は増えていきますから、これからさらなる工夫が必要ですね。そうだ、吉野さんの営業マンが「スーパーハード」の使い方で遮音性能の差が分かる模型を作ってくれてね。これ見てください。

  • <スーパーハードで遮音差を体感>

  • <クラックガードの模型>

  • 道下社長)ゴルフボールを落として遮音性能の違いを聞き分けます。お客様への説明もこれ一発、全然違いますよね。標準仕様は真ん中で十分ですが、二世帯や社宅など高い遮音性が求められると左の2枚重ねをやることもあるんですよ。吉野さんのイベント行くと、これのさらにでかいのがあるよね、ドンとボール落としちゃうやつ(笑)。これと軽量床衝撃音対策の接着剤「サウンドカット」を組み合わせてご提案しています。


     あ、クロスの割れや開きに一発で効く「クラックガード」の模型もあったね。あれも有効活用していますよ!これを採用しておけば、お引き渡し後、軽く2~3年はクロス関係のトラブルが無いからね。

<インタビューを終えて>

お客様に最高のご提案ができるように、常に探求心を持って建築の最先端を吸収されている道下社長。


道下工務店にご発注いただいたお客様!

吉野石膏の商品も少しだけお役に立ちながら、完成したお家は快適な暮らしが約束されていることと思います。竣工、お引き渡しの日をどうぞお楽しみに!

  • <吉野石膏の担当者と>

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