吉野石膏株式会社


株式会社福岡工務店 様

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第二十六回 株式会社福岡工務店 様

永らく吉野石膏の商品をご愛顧いただいている
お取引先様のお気持ちを“吉野愛”という言葉に
置き換えて、そのお心をお伺いに回る
タイガーくんの“吉野愛”をたずねて。
お仕事への思い、商品への思い・・・。
さて、どんなお話が飛び出すでしょうか!?

企業プロフィール

会社名 : 株式会社福岡工務店 様

住所 : 福岡市南区的場2-36-1

代表者 : 代表取締役社長 田之上 健太 様

会社設立日:2010年(平成22年)3月3日

事業内容 : 建築業(注文住宅)

URL : https://www.fukuoka-k.jp/

第26回のお客様は、福岡県福岡市南区にある

株式会社 福岡工務店 代表取締役社長の田之上健太さんです。

よどみなく発せられるキレの良い言葉から伝わってきたのは、大きな建築愛でした!

<まずはこのお仕事を選ばれたきっかけからお伺いします>

タイガー)田之上社長が建築のお仕事を選ばれた理由を教えてください。

 

田之上社長)きっかけは子どもの頃、元号が平成に変わったり、消費税が3%になったり、福岡にダイエーホークスが来たり、と多くの出来事が記憶に残る、小学校4年生の時のことなんです。私の家ではその年に、地元・鹿児島県にある実家を建て替えたのですが、ある日、父と母に挟まれて打ち合わせにくっついてきた私の前に、設計士さんが座ったんですね。淡々と話が進む中、彼はこちらのオーダーに応じて、今のような図面作成ツール(CAD)ではなく手書きで、すすっとアイデアを図面に書いていく。これが子ども心に「おおっ、格好いい!」としっかり刺さったんです。そして今度は家づくりが始まりますよね?うちの叔父が大工だったので、叔父の手でどんどんと家が完成していくのですが、顔見知りの叔父ですからこちらが夏休みの時などは子どもが楽しめるように、現場を触らせてくれたり、お手伝いの真似事のようなものを与えてくれたりしましてね、これがまた楽しかったんです。さらに地鎮祭、棟上げ、引き渡しと、次々と来るイベントが決定打となり、「家を創る。私がする仕事はこれだ!」と幼心ながらに、生涯の仕事としてはっきり意識しました。そこから中学、そして高校は建築科がある工業高校へと進学し、一旦は建築工学科の大学にも入ったんですが、思うところあり僅か半月で専門学校に編入、そこでは学園総長賞を頂くほど建築の勉強をしてから社会に出ました。

  • <学園総長賞の盾>

タイガー)では、社会人としてのここに至るまでのお話をお聞かせください。

 

田之上社長)まずは大きな建物を設計士としてやってみたかったんですね。そこで始めは日本でも指折りのゼネコンに入社しました。配属されたのは福岡支社です。福岡の同期だけで25人もいたのですが、入社式を終えるとその中の3人が呼ばれ「明日から研修1週間」と告げられ、すぐに広島へ。「自分は選ばれた3人の中の一人なんだ!」と前向きに捉え、高揚感が続いていました。広島では3カ月にわたり研修を行い、また福岡に戻り、ワンタッチしたあと今度は千葉に。千葉では同期と一緒に現場での仕事を行い、そこから東京、郡山などを転々とさせられ、1年半後に再び福岡に舞い戻って参りました。やっと落ち着くのか、と思う間もなく、そこでさらなる転勤先を示唆されたんです。

 

 「え?次は大分?・・・うーん、転勤族にはなりたくないし、腰を据えて仕事に取り込みたい自分にとってこのペースは辛いし、やりたいこととも少し違う。・・・うん、辞めよう」

 

 まだ23歳の私でしたが、早々に大手ゼネコンを退社することになりました。

 

 次に勤めたのは福岡市にある「転勤のない」小規模のゼネコンです。そこではRCや鉄骨など幅広い現場の施工を管理する仕事に携わり、設計士としての仕事ではありませんでしたが多くの経験を重ね、2級建築士の資格を取るなど、大手では経験できなかった建築の様々を8年間勉強させていただきました。この8年はまさに今の仕事の礎となった期間でして、お給料をもらいながら、諸先輩たちの経験を体得し、学べる幸せを感じていました。

 これ見てください。20数年前のその時、敬愛する先輩がおでん屋の片隅で「風呂場の収まり」を書いてくださった図面です。歴史を感じるぐらい古い紙でしょ?「田之上君、ここはね、こうなんだよ」って、ささっと施工図として書いてくれたものは本当に私の宝物のひとつでして、今でも大切に保管しています。

  • <田之上社長の宝物:先輩からいただいた施工図>

タイガー)そして独立して、会社を起業されるわけですね。

 

田之上社長)「家を造りたい」と待っていらっしゃるお客様が沢山控えておられる中、2009年の4月、勤めていた会社が倒産してしまったんですね。そこでそのお客様の想いをお救いしようと、新会社の登記が完了するまでの1年間を別会社で間借りし、建築を進めながら、2010年3月3日に登記を終えてこの福岡工務店がスタートしたわけです。

<福岡工務店のことをお聞きします>

タイガー)ということは31歳の時、となりますでしょうか?

 

田之上社長)はい、今が44歳です。この仕事をしていく上で、初対面で若造と見られることは良くないこともありますが、もう20年以上も続けてきているのでようやく「初めまして」の方も少なくなってきました。

 

 この福岡工務店は、現在グループの代表を務める阿久津と、設計の者と、そして私の3人で立ち上げた会社です。会社の名前ですが、阿久津が「福岡で工務店をやるなら、その地元に特化した名前にしよう」と提案をし、運よくこの「福岡工務店」という名前が登記できた、という経緯があります。当グループの熊本の会社も「熊本工務店」という名前でやっておりますので、将来的には全国にご当地の名前がついた工務店を展開できたらいいな、という「47都道府県に工務店を創る」47プロジェクトという夢を持って仕事をしております。仕事で大切にしていることはお客様に対する誠心誠意です。現在弊社には52名の社員がおり、内訳は営業が16名、設計・内装が9名、現場監督が12~13人、そして積算やメンテナンス、事務方、といった、みんなプロ意識の高い人が集まった会社です。

 

タイガー)お好きなことが仕事になる、これは最高ですね。

 

田之上社長)はい。つまり幼少期からずっーと浮気もせず建築一筋で、今日に至っています。お客様からお金を頂いて、そのお金で家を建てる。しかし私にとって、建築は趣味みたいなものですから、好きなことをして、お金も頂く。これって最高ですが、なんだか申し訳ない気分でもあります(笑)。お引き渡しの時に「福岡工務店さん、ローンを払いたくなるような家を造っていただいてありがとうございます!」とお客様に言っていただいたこともあり、本当にいい仕事なのだ、といつも感じています。

 

 ただ、私は最高ですが、社員は大変だと思いますね。社長にこのテンションでやられるわけですから。私は休みも無いような仕事の仕方ですから、気を付けているつもりですが、社員が「そこまではできないよ」と不安に思っていないか、心配ではあります。

 会社を長いビジョンで考えた時に、社員が成長するためにも現場は全て社員に任せるべきと考えており、私が直接お客様にお会いすることは殆どありません。この仕事はクレームが必ず発生する仕事ですが、大切なのは会社のモットーでもある、誠心誠意のスピード対応です。早く行動する、すぐ寄り添う、すぐ手を打つ、という行動がこちらの本気を伝えるためにはとても大切です。「クレームに対応をする」ということは、お客様から教えていただける学びの場、社員成長の場ですからね。

 

 うちの会社の自慢をひとつ。「おっ!」というキーワードにこだわっているんです。お客様に「おっ!」と驚いていただけるようなご提案、仕事仲間が思わず「おっ!」と声を発するような気配り・・・。喜びの根源は驚きです。その象徴的な言葉がこの「おっ!」。

 素早く、全力で、親しみを込めて、相手の立場に立って、失敗を恐れず、疑問を放置せず、誠心誠意仕事を行うと、この「おっ!」に出会えます。うちの会社では社員同士でも、上司と部下の間でも、またお客様との間でも、感じたその瞬間に「おっ!」カードを相手に渡してもらう制度を実施しており、このカードが飛び交うその瞬間が、私の経営理念が飛び交っている時なのだと確信しています。これって紙で手元に残るでしょ?これがまた良いんですよ。

  • <福岡工務店の経営理念「おっ!」>

今、経営者として手掛けなければならないのは事業内容の組み立てです。住宅の新築数はこれからある程度減ってくるでしょうし、家の建て方もある程度パターンがあり、完成度が高くなってきていますから、私の仕事はこれから先の、会社としての取り組み方や工夫を戦略的に考えて、かたちにしていくことだと認識しています。

<「吉野石膏」についてお聞きします>

田之上社長)吉野石膏は10歳の時からコマーシャルで親しんでいる会社です。けど、その頃は正直、吉野石膏が何の会社だかは分からないですよね。その後、学生時代に建築の勉強を始めるとプラスターボード、新建材ボードなどを吉野さんで売っているんだな、といった程度の認識からのスタートですよね。

 ところが実戦に出ると壁にも天井にも吉野さんだらけで(笑)「ああ、すごい会社なんだな」とその規模を実感しました。使われていて当たり前というぐらいシェアを占めているので、吉野愛というよりは「吉野当たり前」、吉野さんとはいつも一緒に、という感覚です。実際、弊社の扱いシェアも100%吉野さんの商品といった状態ですから。

 私、「価格」大好きなんですよ。この昔の(1999年)相見積もり書を見ていると当時の価格が書いてありますでしょ?この当時から「吉野さん一本」をうかがわせるような資料ですよね。我々が建てる木造住宅の弱点をせっこうボードを張ることで強くしているわけですから、吉野の社員の方から見たら「吉野石膏」という会社はとても誇らしいのではないかと思いますね。あちこちの建物で自社製品を見たら、やはりモチベーションが上がるのではないですか?

 私たちは生きている中で空気を必要とします。その中で、自宅で吸う量は56%といわれています。そしてその自宅には吉野石膏の商品が必ずある。つまり、吉野さんを吸って生きているようなものです(笑)。だからハイクリンボードが活きてくるわけですね。耐力面材のEXハイパーなどもそうだと思うのですが、高機能性というものは目には見えにくいものなので、私が「おっ!」っと思うようなプレゼンテーションをしていただいたら、すぐに採用すると思いますよ、本当に。

<世界一空気がきれいな家>

タイガー)ショールーム的にお建てになられているこのモデルハウスについて教えてください。

 

田之上社長)日本の昔の家屋のように土間があって、このキッチンを家の要としてここから全部が見渡せる造りになっています。この家、すぐ横に電車が走っているのに静かでしょ?この屋根には厚い断熱材を貼っているため、天井が無い分広い空間となり、また、エアコン1台で家中快適な室温が保てます。「世界一空気がきれい」という謳い文句もちゃんとエビデンスがありまして、この空気環境にこだわったマクロビオテック住宅には熱交換器、そして空港の喫煙所などで使われている空気清浄機、さらにはフィルターを通して室内に外気を入れるシステムが付いています。世界で一番空気が綺麗と言われているのはオーストラリアのタスマニアなのですが、(※諸説あります)そこのリアルな数値をこちらのアプリでチェックし、この室内と比べることができるようになっています。この数値が下回っていたら、こちらが世界一、ということになりますよね。

<インタビューを終えて>

沢山の資料をご用意いただき、私たちを大歓迎していただいた田之上社長。

私たちのインタビューに対してだけではなく、「おっ!」が満ち溢れた会社の行く末や、社員の皆さんの将来にまで用意周到に目配り、気配りされているのではと、強く感じました。

 

 数ある社長さんの中でも、間違いなく「建築愛」トップクラスの田之上社長。

福岡工務店を支える多くの方々とこれからもたくさんの「おっ!」をキャッチボールして、素敵な住宅を創ってください!

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