吉野石膏株式会社


恒和工業株式会社 様

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第三十一回 恒和工業株式会社 様

永らく吉野石膏の商品をご愛顧いただいている
お取引先様のお気持ちを“吉野愛”という言葉に
置き換えて、そのお心をお伺いに回る
タイガーくんの“吉野愛”をたずねて。
お仕事への思い、商品への思い・・・。
さて、どんなお話が飛び出すでしょうか!?

企業プロフィール

会社名 : 恒和工業株式会社 様

住所 : 東京都練馬区高野台2-8-10

代表者 : 代表取締役 大澤 豊樹 様

会社設立日:1968年(昭和43年)4月8日

事業内容 : LGS、ボード

URL : https://www.kowa-kou.co.jp/

第31回のお客様は、東京都練馬区にある

恒和工業株式会社 代表取締役社長の大澤豊樹さんです。

 

公私ともに充実した時間を過ごされている大澤社長。終始穏やかな表情の中で、建築業界全体のこと、そしてたくさんの吉野愛を語っていただきました!

<学生時代から入社までをお聞きします>

  • 大澤社長)インタビューに先だってこの「吉野愛を訪ねて」を予め拝見しましたが、東京志村の伊東さん、東和の石田さん、三好フローリングの高橋さん、サンセー商会の斉藤さん、あと先輩ですが岩野商会さんなど、懇意にしているお仲間が沢山出られており、少し安心してこの時間を迎えていることを、まずはお伝えします。(笑)。


     私は早稲田実業学校出身でして、学生時代の思い出と言えばこの(写真を見ながら)キャプテンを務めた高校時代のボート部のことですね。一番のレースは隅田川で行われる「早慶レガッタ」でして、これは大学だけでなく付属高校でもレースがあるんです。早稲田は早稲田大学高等学院と早稲田実業、慶應は慶應日吉と慶應志木、この4校4艘で競い、確か2着だったという記憶があります。このレースのために埼玉県戸田市にある大学の艇庫(合宿所)に直前の6週間、寝泊まりしながら練習したのは人生の良い思い出ですね。

 大学時代は比較的楽しみながら過ごし、1991年に卒業を迎えます。その時はまだ会社を継ぐような話には正式になっておらず、父から「社会勉強せよ」との話もありましたので、家業とは全く関係のない一部上場企業の自動車部品関係の会社に就職し、4年ほどサラリーマンをやりました。そんなある日、父から後継の話があり、家族会議を経て恒和工業に入社することになりました。

<恒和工業についてお聞きします>

  • 大澤社長)恒和工業の創業は今から55年前の昭和43年4月。祖父の今朝由(けさよし)と父の繁雄の二人で始めた会社です。初代社長の祖父は創業時にもう60歳を超えていましたので、正確に言うと3代目になるのですが、実態としては、私は2代目社長、といったところでしょうか。当初から会社の柱となった父の繁雄ですが、元々は川崎鉄網という会社で営業マンをやっておりそのスキルを基に独立をしました。ちょうどその頃は軽鉄のはしりでもあり、それ以来、野丁場の仕事を中心に今日まで続いております。当初はうちが組んだ軽鉄に他のボード屋さんがせっこうボードを張っていたんですが、そのうち「これ、自社でやろう!」という話になり、そこから吉野石膏さんとのお付き合いが始まったんですね。


     「恒和工業」という名前ですが、創業時は高度成長期で、周囲には殺伐とした労使関係の会社が多かったのだそうです。そこで、せめて自分の会社だけは人間関係のいさかいが無い「恒久平和」な会社であれ、との願いを込めてつけたのだと父からは聞いています。

 私は学生時代にアルバイトでタイガーボードを担ぐようなことも全くなく、現場を触ることがずっと無かった人間です。社会人としても全く建築とは関係のない世界から入社したため、修業が必要だった私は入社1か月経った日から4年間、お取引先にお願いして出向をさせていただきました。そこでは専門用語から始まり、現場の基礎をしっかり教えていただきまして、今でも大変良い経験をさせていただいたと感謝しております。この業界あるあるだと思うのですが、一部上場企業の一般的サラリーマンからすると、この建築業界はすべてが荒っぽく、時間も不規則で、かつ、一人前になっていない人間に対して特に当たりがキツイので、仕事を始めてから10年近く続いた現場担当時代は、まぁ、まともな心情、生活ではなかったですね。


 そんな私が父から社長を引き継いだのは2006年、・・・もう17年になりますね。引き継いでから10年程度は何かとかかわってきた現在86歳の父も、この数年は本業には深くはかかわらず、会長という立場で意見を聞かせてくれています。私は大きな現場に常駐してゼネコン社員と毎日膝突き合わせた経験などから、建築の知識は身に付きましたが、いわゆる職人さん上がりではなく、まさに「切った、張った」をやったことがない社長です。私だけでなく父も同様にサラリーマンだったわけですから、二人とも「現場の収まりは分からないタイプ」の社長として会社を切り盛りしてきたんですね。

 この17年間の社長業ですが、固定されたお客様からのお仕事を、100人にも及ぶうち専属の職人さんの力で仕上げていく毎日です。社長業はやはりそれなりに気苦労が多く、いつもどこかで身構えている自分がいました。そんな中、冒頭で名前を挙げた東京志村の伊東さん、東和の石田さん、三好フローリングの高橋さんなどの年齢の近い良き仲間には、本当に勇気づけられ、救われてきました。同じような業態で、同じような境遇で、同じような悩みがあるわけですから共有できる事案も多く、いつも「一人じゃないんだなぁ」と思いながら過ごして参りました。彼らも本来は競争相手、ライバル関係なんですけれど、職人さんの問題や、社保の話など多岐にわたり、まさに同じ境遇だからこそアイデアを出しあい、知恵を絞りながら一緒に進んで行く、良い仲間なんですよね。しょっちゅう会って、飲んだりゴルフしたり、私生活でも交流がある、友でもあるというのは、本当にありがたいことです。

<仕事以外のことを教えてください>

大澤社長)私はゴルフが好きでして、ちょくちょくコースに出ていますね。もう一息でシングルプレーヤーなので、いつかはと思いながらその日を夢見てプレーしています。そして週末の残りの一日は妻と過ごすことが多いです。私の妻は多忙な家業の家で育ったせいもあるのでしょうが、仕事の忙しさに対して理解がある人で、私が建設の仕事で家庭を顧みる時間が無かった時も本当に親身に支えてくれました。お陰様で夫婦仲が良いので週末は頻繁に一緒に出かけます。休みが合えば、たいてい妻と愛犬(ゴールデンドゥードル)と一緒に食事や散策に出掛けますね。妻は運動神経がとても良く、テニスも負けてしまうことがあるし、車の運転もとても上手。だから私の趣味であるゴルフを教えてしまうと私は敵わなくなってしまう恐れが非常に高いので、間違ってもそこだけには引っ張り込まないようにしています(笑)。


 それとこの7年ぐらいなのですが力士の朝乃山関の後援会に入って応援しています。今風に言うなら「推し」っていうことですかね。朝乃山関は所縁のある富山県の出身で、朝乃山のお母さんと、私の妻が従妹同士で親戚なんですね。先場所、そして次の場所も前頭まで番付を戻して横綱も狙える位置ですから、こちらの応援も熱が入ります。実際に両国国技館にも何度か足を運んだり、祝賀会などに参加したりしながら「推し活」を楽しんでいます。

<「吉野石膏」についてお聞きします>

  • <吉野石膏の担当者と>

  • 大澤社長)吉野さんとのお付き合いはこの業界入ってすぐ、25、6歳の時からですから約30年になりますね。担当営業さんとのお付き合いから始まり、30歳半ばあたりから須藤永作社長とも旅行会やタイガー会などを通じ、色々お付き合いをさせていただくようになりました。また須藤潮副社長とも演劇のお誘いをいただくなど懇意にさせていただいております。潮副社長と私は誕生日が同じ、3月24日なんです。私が6個年下なんですが、なんかご縁を感じますよね。


     うちは吉野石膏1社だけとのお付き合いです。製品が良いというのはもちろんですが、社長、副社長だけでなく、営業の方とも長くお付き合いできているのも理由です。昔担当されていた方が、課長、部長、支店長とご出世されていくのは嬉しいですし、また、離職されることなく、長くお勤めになることを通じて、吉野石膏という会社の良さも感じることができます。現に今の東京支店長さんももう20年以上のお付き合いですからね。担当を離れたあともつながっているって、他の会社ではない吉野さんだけの特長、長所だと思っています。吉野さんの営業マンってタイプが二分されるんですよ。「面白破天荒型」と「ド真面目仕事大好き型」と。私はどちらかというと破天荒型が好きですが(笑)。色々なタイプの営業マンを適材適所で人事されているところも敬服します。

 うちはビル関係の仕事が多いものですから、吉野石膏の商品的には耐火遮音間仕切りに接することが多いですよね。最近ではこの施工不良のニュースを見聞きするので、そこは大変気になっているところです。そういった意味ではより簡単で、確実で、仕上がりが綺麗な四周処理剤があったらいいなと思いますね。変な話、平らな部分はさほど経験のない職人でもできますが、我々内装工事の腕の見せ所は、取合部と言われる部材同士が接触しているところですからね。


 あと、建築現場ではリニューアル工事が多くなっているんですが、例えば東京都庁の第2庁舎は1990年竣工のため、7年間にわたりエアコンなどの設備更新のため天井を解体する作業を行ってきたんですね。もちろん工事は建物を休業・休館して一斉に行えず、フロアごとに区切って工事を行うのですが、この時に問題になるのが壊した天井や壁から出る「せっこうの粉」なんです。どんなに足拭きや掃除機などを使っても、簡単には綺麗にならない。これ、各部屋を出入りするたびに職人がやる労力を考えると大変な時間なんです。省施工が叫ばれている中で、そして、これから多くのリニューアル工事が控えている中で、これは小さな大問題なんですね。粉がさっとまとまったり、すぐに綺麗になるような改良されたボードはこれからとても重要になってくるのではと考えています。


 それにしても「製品良し」「人良し」、こんな状況下で、他の会社のせっこうボードを買う理由なんてありますか?(笑)と、私が聞きたい気分ですよ。

 

タイガー)過分なお褒めをいただき大変恐縮です。今後ともご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

<インタビューを終えて>

コロナ禍も収まり、90名近い職人さんと久しぶりの暑気払いで対面したところ、思いのほか「自社の職人さんの若返り」を感じたそうです。調べてみると50代の職人が自分の息子と共に働いていることが判明。それを見て大澤社長は「今の職人さんたちが息子さんをこの世界に引き入れるということは、現状に満足している証。安定して稼げる仕事として、その価値をさらに高めていかねば」と、固い誓いを立てたそうです。


この建設業だけではなく、働き手の問題はどこにとっても喫緊の課題。そのためには教育のシステム化も重要だと考える大澤社長。人がいない中、今いる人を素早く一人前に育てるシステムを全室協の仲間とさらに考えなくては、と真剣な眼差しでおっしゃっておられました。

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