吉野石膏株式会社


辻󠄀木材株式会社 様

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第三十四回 辻󠄀木材株式会社 様

永らく吉野石膏の商品をご愛顧いただいている
お取引先様のお気持ちを“吉野愛”という言葉に
置き換えて、そのお心をお伺いに回る
タイガーくんの“吉野愛”をたずねて。
お仕事への思い、商品への思い・・・。
さて、どんなお話が飛び出すでしょうか!?

企業プロフィール

会社名 : 辻󠄀木材株式会社 様

住所 : 北海道北斗市七重浜8-9-12

代表者 : 代表取締役社長 辻󠄀 将大 様

会社設立日:1920年(大正9年)

事業内容 : 注文住宅、デザイン規格住宅、リフォーム

URL : https://www.lime-h.co.jp/

第34回のお客様は、北海道函館市の隣町、北斗市にある

辻󠄀木材株式会社 代表取締役社長の辻󠄀将大さんです。

 

設計、設備、建材、インテリア・・・。お施主様の満足度を高める「住宅への様々なこだわり」をお話しいただきました。

<始めに辻󠄀木材のことをお伺いします>

辻󠄀社長)弊社は1920年起業の創業104年。代々、辻󠄀家としてつながってきた会社を100周年を前に、4代目社長として父から引き継ぎました。私には男の子がいないので、直系男子としては私の代で終わってしまうのかなぁ、と思っています。会社の商圏は本社を中心に70㎞、車で1時間半の範囲と定めて営業を行ない、今日まで770棟の住宅をお納めしてきました。


 実は私、かなりギリギリのタイミングになるまで、この会社を引き継ぐという意識が無かったんです。私は大学で東京に出まして、卒業してからも5年ほど、併せて10年近く神奈川県で生活していました。仕事のベースはスキーのインストラクターだったものですから、オフシーズンは居酒屋やガソリンスタンド、カー用品店などでアルバイト的な仕事をしながら生計を立てていました。つまり建築とは全く無縁な生活だったんです。親にも「30歳ぐらいまでは、この生活をします」と伝えていましたしね。


 そんな時に結婚のタイミングが来たんです。そこでもう一度、自分の仕事の精査をしつつ、実家と話をした中で、初めて家業が変化しているという実態を知り、この会社に興味を持ったんですね。

タイガー)代々続くお仕事かと思うのですが、どんな変化があったのですか?


辻󠄀社長)家業は材木問屋の仲卸のような、仕入れた商品を在庫し、管理し、流していく、比較的変化の乏しい仕事でしたので、私はずっとこの仕事に魅力を感じていなかった、・・・興味が無かったんですね。うちの祖父は商工会議所の会頭を務めるなど函館では知らない人がいないぐらいシンボル的な人でしたが、祖母も含めて二人とも私が学生時代に亡くなっており、小さいころから家業について「大きくなったらお前が継ぐんだよ」的にささやかれるようなことも無かったんです。


 一方で私は男1人、あとは妹が2人という3人兄弟ですので、心のどこかに「いつかは・・・」という気持ちはあったのかもしれませんが、その時までは表に出てきていませんでした。ところが結婚話をしたその時、父の口から「材木卸だけではなく、住宅事業を始めたんだよ」という言葉が出たんです。私は「えっ?」と思ったんですね。「住宅を建てる仕事か。・・・それならやってもいいなぁ」と。しかもすでに会社がその事業をスタートさせているのなら、そのベースを活かせば成長も早められるし、とも考えました。家づくりの魅力を良く知らなかった当時ですから、「家づくりにときめいた」というよりは「会社の事業形態に興味を持った」というのが偽らざる本音だったのではないかと思います。


 心を決めた後はすぐに実家に戻ることをせず、まずは当時の流行りであり、会社としても育てようと考えていた「ローコスト住宅」のモデルケースとして認められていた浜松の工務店で、勉強のため現場監督とコーディネーターの仕事を始めました。28歳の時の話です。

  • <仕事の原点が沁みる名刺入れ>

  •  そこから浜松で過ごした丸4年間。間違いなく普通の人の2倍は働いたと思います。今だと労基法違反で捕まるでしょうね(笑)。もちろん人に較べて28歳と遅いスタートですから、促成栽培せねばならないという気持ちもあったのですが、それ以上に「住宅の世界は、簡単に一人前になれない世界だ」と携わった直後から感じていたので、人より多く時間を使う以外に成長への近道がないと思っていたんですね。元々居酒屋でバイトしていた時から、過酷な労働環境が苦にならないタイプだというのは自分で感じていましたので、大した苦労だとも感じず、どっぷり工務店仕事に身を置いて働きました。


     今でこそ男女の差が無く、住宅建築に求められることは性別やライフスタイルに関係なく多様化していますが、今から十年以上前の当時は違いました。男性のお客様は細かい諸元を突き詰めた性能的な話が多い。一方では女性のお客様は住宅を建てるにあたっての良き相談相手となり、住んだ後の生活のイメージを共有できることをカウンターパートに求めてくる。そして発注の最終決定者は家庭を切り盛りする立場の人、当時は圧倒的に女性が多かったんです。工務店の人間に求められるのは、専門的な知識はもちろん大切ですが、お客様は私たちに知識だけを求められているのではない、と勉強させられた時間でもありました。まぁしかし、本音を言うと本当に大変な4年間でしたね。辞める時に会社の人たちが餞別でくれた名刺入れがあるんですが、沢山の思い出が詰まっていますし、そこに原点を感じるので、今でも大切に使っています。

 4年の修業を終えた32歳から、この会社で仕事を始めました。この会社で最初に覚えたのは違和感でした。「この場所だけ数百年ぐらい昔?」と思えるような旧態依然とした習慣やシステムに愕然としました。私は入社してすぐに経営者になったわけではもちろんありませんが、次の担い手になるという暗黙の了解が社内にはありましたから、将来に向けて、自分の考えをひとつひとつ社員に伝えるところからスタートしたことを覚えています。一方で父は自分がやってきたやり方に手を突っ込まれ、否定され、振る采配を私に取られるシーンがあるわけですから、面白くなかったのではないでしょうか?いまでも変わらず小言を言われますが、それもまぁこの3年ぐらいでしょうか、随分と吸収できるような関係になってきたのかな、と思っています。歴史のある辻󠄀木材の屋号はそのままですが、私が指揮を執るようになってからは全く別の会社になった、と言えるほど変化したのは間違いのない事実です。

  • タイガー)辻󠄀社長は自己分析されると、どんなタイプの社長さんなのでしょうか?


    辻󠄀社長)私は年頭に達成目標を数字で立てたり、〇〇をしなければならない、と決めたりするのは好きじゃないんです。「今いる人たちが100%、120%、自分以外の人のために何ができるか?」を、その時の環境に応じてできる範囲でやれたら良いな、と考えるタイプなんです。「今できることを探して、それをやろう」という方針はずっと変わっていません。今、7名の従業員がいますが、その多くが、私が採用したスタッフに入れ替わったこともあり、私の考え方である「お客様の気持ちに寄り添う」という理念に共感し、一緒に働いているのだな、と実感しています。


     うちの会社では、現場管理は私一人なんですよ。他は経理、営業、設計、アフターメンテ、そして私のアシスタント。毎日私が現場監督をしながら、次に控えたお客様へのご提案や打ち合わせもしているんです。これ、自分が好きな仕事だから毎日が楽しいんですよね。今の年間の棟数は20前後。住宅を知り尽くしたと自負している人間が、こだわり抜いて作っています。

<御社の住宅で特筆すべき点をお教えください>

辻󠄀社長)私のこだわりが詰まった住宅です(笑)。家は言うなれば「バリア」みたいなもの。最もプライベートである空間をしっかり守って、そこで快適に、安全に暮らせる。安全と言ってもそれは防犯的な安全だけではなく、例えばある程度の音も自由に出せるというのも、外部との必要な距離を守ってくれる、目には見えないバリア機能なんですね。我慢をしないで済む、そして潜在的に我慢している欲求を発散できる家こそが、最高の家ではないでしょうか?そのためにもヒアリング作業はとても大切で、それだけで2時間以上、みっちりお客様と会話をします。大抵の場合、お客様は「こんなに聞かれたことはありませんね!」と、ビックリされています。


 先日お引き渡しをしたお客様がおっしゃっていたことなのですが、他ではヒアリングをしても、どうやらその工務店さんが持つ定番のパターンに当てはめて、お勧めをされるらしいんです。・・・注文住宅と銘打っているのにですよ!弊社ではお客様のご希望を100%叶えて差し上げたいと強く考えていますから、ヒアリングの時に「何でもおっしゃってください!」とお伝えします。そのご家族はそれが新鮮だったらしく「何でも言っていいんですね!」という弾んだ声が戻ってきました。それを聞いた私は「注文住宅だからこんなの当たり前なのに」と訝しんだのですが、それはそのご家族が訪れた他店ではどうも珍しいことだったらしいのですね(笑)。そして、そのご家族は自分たちのご希望を事前にしっかりまとめられて、私どもにご相談をされました。これって本当に大切な事なんだと改めて思うとともに、「このご家族とは、お互いに良い家づくりに向けて、良い動きができたなぁ…」と私も良い心地になりました。


 これ以外にも私が思う家づくりの秘訣をあえて言えば「今の家の良いところ、不満なところ」をきちんと整理する、と言うことでしょうか?新しい家にそれを反映させる作業は、とても大切なことですね。


 弊社のモデルハウスには北海道という地域性を踏まえたこだわりを散りばめています。断熱・気密に有効で、ほとんど結露しない3重サッシと、柱と柱の間に断熱材を入れた上に外側にも5㎝厚もの断熱材を張る徹底した断熱対策、そして木材の良さを生かしながら全ての住まいで担保される耐震等級3の頑丈な構造。さらには構造躯体の20年保証。このどれもが標準仕様です。


 弊社の家は普通の家庭用エアコン1台で家ごと暖房できます。エアコンだと無垢の床でも温度的に床下に温風を通す暖房が可能ですので、家中が温まります。北海道の寒さの中でですよ!これらはいずれも生活の質を上げる、しっかりとしたバリアのひとつだと自負しています。

  • <こだわりを形にしたモデルハウス>

  • <16畳用エアコン1台で家中暖房!>

<「吉野石膏」についてお聞きします>

辻󠄀社長)昔担いだことがあるけど、しかし、せっこうボードってとんでもない重さですよね(笑)。なぜ「せっこうボード」が燃えないのか?今どきは現場監督でも、説明できない人がいるからね!(※ボード内に「結晶水」が含まれているため)


 吉野石膏さんがボードの機能性をインスタで紹介しているのはとても良いことだと思いますね。前の会社(浜松)時代から吉野石膏さんに悪いイメージは無いですね。浜松は温度・湿度が高い場所なんだけど、吉野さんのタイガーボードは他社製品に比べてカラっとして質感が良いなと思っていました。

  • <吉野石膏の担当者と>

  •  EXボードやEXハイパーは函館で最初に使った会社なんじゃないかな、と思います。初めは重さが大変だなとは思いましたが、26㎏→21㎏→19㎏と軽くなってきたし、何よりも大切な透湿性能が良いし、防水性、防カビ性があって、壁倍率も当初から高かったから耐震性能にも貢献するし、ガンで釘打っても釘穴からクズが飛び散らないから安全に作業できるので「これはいいよ!使わない理由なんてないでしょ?」と多くの人に宣伝していたら、吉野石膏のセミナーに駆り出されて2回も講師するはめになっちゃいました(笑)EXプログレも軽さが良いので、あとは認定だけですよね。そこは制度改革含めて吉野さんにぜひ頑張っていただきたいです。


     あと関連商品ではクラックガードも使っていますよ。北海道の住宅はその厳しい気候からクロスが割れやすいんで、クラックガードを使うと、全くクロスが割れたり開いたりしないんです。これって、クレーム減少だけではなく、定期点検の時間も大幅に節約できるので、私達にとっても本当に最高なんです。思えばFeボードだってもう5年以上前の、いの一番に使った記憶があるし、吉野石膏さんは良い商品が多いんだから、「これを採用されたら、こんなに素敵な家になりますよ!」という提案をどんどんされて、私を刺激して欲しいですね。

<インタビューを終えて>

現場が大好きで、職人さん上がりではないのに、誰よりも職人気質な辻󠄀社長。

驚くべきことに会社には社長専用の「工具棚」まであるそうです(笑)。

 

「家って生命保険までかけて買うもんでしょ?だから適当な事なんて絶対できませんよ!」

 

こだわりの詰まった安心で暖かい住宅で、温かい家庭づくりのお手伝い。吉野石膏も引き続き社員一同心を合わせ、末長く応援させていただきます。

本日はありがとうございました!

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