吉野石膏株式会社


株式会社カヤノ 様

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第三十六回 株式会社カヤノ 様

永らく吉野石膏の商品をご愛顧いただいている
お取引先様のお気持ちを“吉野愛”という言葉に
置き換えて、そのお心をお伺いに回る
タイガーくんの“吉野愛”をたずねて。
お仕事への思い、商品への思い・・・。
さて、どんなお話が飛び出すでしょうか!?

企業プロフィール

会社名 : 株式会社カヤノ 様

住所 : 新潟県新潟市中央区美咲町1-23-1

代表者 : 代表取締役社長 茅野 与志樹 様

会社創立日:1921年(大正10年)9月

事業内容 :
1.木材・建材・住宅資材の販売
2.注文住宅の設計、施工、監理、増改築工事、外構工事、
マンションリフォーム、リノベーション
3.クロワッサンの店(雑貨店)、HOUSE&GARDEN(生花店)の運営
4.BOSCH食洗機 正規販売店(BAPS新潟中央店)

URL : https://www.kayano-life.co.jp/
https://www.kayano-life.co.jp/magazine/

第36回のお客様は、新潟県新潟市にある

株式会社カヤノ 常務取締役の茅野直樹さんです。

 

お約束の時間少し前に到着すると、まず我々を歓迎していただいたのは代表取締役社長の茅野与志樹さん。

直樹常務のご準備が整うまで、お話をいただきました!

<茅野社長とのひと時>

  • <笑顔が素敵な茅野社長>

  • 茅野社長)わざわざ東京から、ようこそお越しくださいました!企業がSNSをやる時に「誰に訴えたいのか」というターゲットを絞るのは、とても難しいことだと思うのですが、

    これはインスタに出すのですか?

     

    タイガー)はい、このインタビューは「吉野愛を訪ねて」という企画です。特にお世話になっているお客様を各地にお訪ねし、様々なお話を伺ったものを吉野石膏のHPとインスタグラムに出しております。

     

    茅野社長)インスタなどのSNSでは個人のタレント性や魅力というものを前面に押し出して展開するのがセオリーですけど、これが企業となるとどうやって象徴的なものを表に押し出すのかが非常に難しいですよね。例えば個性豊かな社長がいて、その方が顔出しして思いを語るなら、そのページにファンもつきやすいでしょうけど、これを大企業のPRでやるのはなかなか難しいでしょ?「この人が好き」という気持ちは、人の心を動かす大原則ですけど、それを大企業でやるとなると、何か違う形をクリエイティブして、それを中心に展開していかなければならない。吉野石膏さんも、イメージ戦略を一工夫して、何かをやろうとしているんでしょうね・・・。

 リクルーティング問題もありますよね。我々の世界ではこれだけ有名な「タイガーボード」という商品も、圧倒的なシェアを誇る「吉野石膏」という社名も、直接ユーザーではない学生は知らないですからね。どんなにいい企業でも、今は労働の条件などで選ばれる時代。うちも始業時間を30分遅らせて8時半からに変えるなど工夫をしてはいるんですが・・・。

 

 今日のインタビューですが、当初は私に、と言われたのですが、これからのカヤノを担う常務に頼みました。

 

 私は辰年生まれなので、竜にまつわるエピソードを一つお話しますが・・・竜ってね、掛け軸なんかでもそうですが、必ず「雲」が傍らに描かれているんですよ。その意味は「竜の雲を得る如し」。どんな人でも活躍をするには竜が雲からエネルギーやチャンスをもらうように、大切なサポートを与えてくれる人や物が必要だという「ことわざ」なんですね。「支えてくれる人、環境、物・・・全てに感謝しながら仕事をする」その思いを、今から常務に聞いてください!では私はこれで!

 

タイガー)お忙しい中、ありがとうございました!

(茅野社長、退席)

 

茅野常務)・・・いやぁ、強烈ですみません。父はいつもあんな感じでして(笑)。

 

タイガー)いえ、短い時間でしたが、太陽のように、いつも中心にいらっしゃる方なんだなという印象が強く残りました。ではここからは茅野常務、どうぞよろしくお願いいたします。

<茅野常務のことをお教えください>

  • <歴史を感じる茅野材木店の商札>

  • 茅野常務)私が働いているカヤノは1921年創業、今年で103年を数える会社です。元々は大鋸と呼ばれるノコギリで丸太を材木にする「木挽き職人」が生業だったので、創業地はここからすぐの信濃川沿いにありました。

     

     これがおそらく70年ぐらい前のものだと思うのですがかつて使っていた商札、会社の表札のようなものです。


     初代社長の名前は「よさく(與作)」と言いまして、北島三郎さんの有名な歌「与作」の歌詞にあるように、本当に「♪~よさくは木を切る~♪」を地で行ったのだろうと想像しています。先ほどの社長が3代目で、私の叔父が専務。常務の私は社長の息子でして4代目を継げるように勉強中、という状態です。


 私の学生時代には「家業を継ぐ」という意志は全く芽生えておらず、多くの方がそうであるようにスポーツ、私の場合は野球が生活の中心にありました。しかし子どもの頃からレゴに囲まれる時間が大好きだったように、物造りに関しては強い興味がありまして、高校、大学と専門的に建築の勉強を致しました。しかしながら学生時代には「建築を一生の仕事にするぞ」と決意するほどの熱量は産まれていなかったような気がします。転機になったのは大学4年の時。父に連れられてイタリアの「ミラノサローネ国際家具見本市」に行った際に大いなる刺激、感銘を受けたのがきっかけです。

 

 「建築とはこれほどまでに、人々の生活を豊かにできるのだ!」「これなら楽しく仕事をできるかもしれない!」

この時、本格的に探求心にスイッチが入った状態になったのだと思います。

 

 そこで大学を卒業後、東京にある3年制の専門学校に入りました。当時は親元から離れたいという気持ちもあったことも相まって、東京には自由と可能性を感じました。そこからは建築の勉強をしながら、暇を見つけて、自転車で色々な建物を見て回る生活が始まりました。…本当に色々回りましたね。私が一番好きな建物は、これは東京ではなくパリにあるのですが、現代建築の父と言われる巨匠レンゾ・ピアノが建てた総合文化施設・ポンピドゥーセンターです。古いヨーロッパの町並み中で、異彩を放つガラス張りの建物の存在感は別格の美しさです。 


 専門学校時代は建物巡りだけでなく、設計事務所で無報酬のオープンデスク(研修生)やアルバイトも始めたんです。そこでは一心に個人住宅や大型施設の模型を作りました。他は隈研吾さんの事務所や、神奈川にある設計事務所でも働きました。この神奈川の社長さんには惚れ込むところもあり、オープンデスクからアルバイトを経て最後は正社員になりました。仕事は朝から朝まで、家には仮眠に帰るような生活。充実はしていましたが、ある時、さすがに寝る時間もない生活に大げさではなく命の危険を感じ、いったん辞めることになりました。 

  

 それでも建物が好きなので27歳の時に東京でハウスメーカーの営業職に就きました。その時、自分でできることは何かを考え、たどり着いたのは「人より働く、人が寝ている時も働く」ということ。これを続ければNo.1が取れる、No.1になれば自分の訴えを皆さんに聞いてもらえる、と考えたんです。成績が付いてくると若かったせいもあるのでしょうか、言いたい放題ではありませんが、会社をより良くするための提案など、思ったことをストレートに発信していましたね。当時は成約率10割を目指していましたし、ある1年ではそれを達成することもできていましたから。お陰様でそのハウスメーカーの社長さんとは今でも連絡し合う仲ですし、競合となるマンションの勉強もできましたし、とても良い時間となりました。こんな性格ですから現場は好きですね。今でも行きたくて仕方がない(笑)。玄翁だってインパクトドライバーだって自前のものがありますが、しかし経営側の人間としては、そればかりやるわけにはいきませんから残念です。

  

 ハウスメーカーで働いていた間、ずっと父からは「戻ってこい」と言われていたのですが、その後、父が体調を崩したことをきっかけにカヤノに戻ることを決意しました。33歳の時でした。思えば幼少のころ、祖父母に「僕がカヤノを継ぐ!」と言っていた記憶はあるんです。まさに時期が来たということなのだと思いますが、自分で決断して戻って参りました。

<戻られてからのことをお伺いします>

茅野常務)やはり親子ですから、遠慮のない言葉が飛び交いますので毎日言い合いみたいな賑やかな毎日です(笑)。社長に第一線にいていただくと、何といっても迫力も違いますし、スタッフが安心して働ける、安心感が違うんだな、という実感があります。一方で、安心に浸り、庇護に包まれて仕事をしていると成長も望めないですよね。その按排だと思うのですが、「社長には睨みは効かせておいて欲しいな、そしてスタッフは甘えることなく自ら成長して欲しいな」と考えています。

 

 社長はそもそも自身も木を中心としたBtoBの仕事から、エンドユーザー向けの仕事を取り入れた人ですから、挑戦することに対して頭ごなしにダメとは言わない人です。今までのお客様との軋轢を厭わず住宅の販売を始めただけでなく、雑誌と提携し生活雑貨を販売する「クロワッサンの店」やお花のある生活を提案する「HOUSE&GARDEN」を始めたのも社長です。 

 

 3~4年前から仙台でマンションのリノベーション、買い取り再販をやっているのですが、これも私が戻って1年ぐらいで提案した事業をやらさせてもらっています。元々が材木店という歴史を縛りに感じず、「木」に固執しないで、「住まい」という大きな括りでお客様に上質な暮らしをコーディネートできたら良いと思っています。

 

 ここから先は常々社長が掲げている年商20億という目標にしなくては、という思いがありますね。これは個々のレベルを上げて発言・提案をしていかないと届かない数字です。そのためには営業・設計・工事がひとりでできるマルチプレーヤーも必要ですし、また働く環境を整えて人員を増やしていくことも大切です。理想は今働いているスタッフが「とても良い会社だから一緒に働きませんか?」と言ってもらえるような・・・。冒頭で社長が言っていた始業時間の変更や、年間休日を115日まで増やす計画を発表したことなども、その具体例です。さらには20年以上続いている、年に1度の感謝祭「カヤノ祭り」にお集まりいただいている仕事に関わってくださっている方々の数を増やすことも大切です。新築棟数だけにこだわらずリフォーム、リノベーションのご提案をしていく。いずれも新潟の枠を飛び越えて、それこそ世界中の方々と、想いを揃えてライフスタイルをご提案していきたいですね。

  • <愛用の欅の名刺入れ>

  • <こちらはブラックチェリー製>

<「吉野石膏」についてお聞きします>

  • <吉野石膏の担当者と>

  • 茅野常務)弊社は性別関係なく色々な職種で働いてもらっていますが、さすがに重たいせっこうボードは体力が無いと・・・。従来品より25%も軽くなった天井材のジプトーン・ウルトラライトなどはありがたい商品ですね。初めて使った大工さんは「軽いけど性能は大丈夫なの?」って言っていたぐらいですから(笑)。特に弊社が手掛け始めたマンションのリノベーションでは「搬入の問題」がありますから、この軽さはとても助かるんですね。

     

     吉野さんと言ったら印象的なのはタイガーのCMかなぁ。前職のハウスメーカーでお世話になった設計士の方が、途中で吉野石膏さんに転職されたこともあり(現DDセンター勤務)、とてもご縁を感じる会社ですね。何よりも吉野さんが無いと、せっこうボードが無いと、家づくりが成り立ちませんからね。うちの住宅ではハイクリンボードを標準仕様にしてそれが売りにもなっておりますし、EXハイパーも良く使っております。先ほどのウルトラライトのハイクリン版も作って欲しいですね。

 今、吉野石膏さんから内壁用の耐力面材「タイガーハイパーハードT ネクスト」を勧められています。前の商品から20%近く軽くなり、壁倍率も上がった商品ですよね。うちの住宅は全体のバランスを考えて耐震等級を2に設定しているのです。建物に弱い個所をつくらない、間取りの自由度を保つという様々なバランスを考えることも、設計では大切なことですからね。あ、あと注目しているのはスマートJG工法ですね。テープと磁石でせっこうボードを張るのでビス打ちの騒音がでない。マンションリノベーションでは音を出さないことは、とても大切な事なんです。

 

  吉野さん、紙ベースの総合カタログ作ってください。半年に一回リニュアルして、現場に置いておける、商品のポイントだけ突いたものを。宜しくお願いいたします。

<インタビューを終えて>

「気密性」と外張り断熱材による「断熱効果」には絶対の自信があるカヤノの家。例え床下でも、室内と同じ暖かさが保てるそうです。


カヤノでは骨組みの段階からお客様にその効果を感じていただける見学会も実施中。これからも新潟発で広く、多くの方にポカポカのお家が届きますように!

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