日建スチール株式会社 様
第四十五回 日建スチール株式会社 様
永らく吉野石膏の商品をご愛顧いただいている
お取引先様のお気持ちを“吉野愛”という言葉に
置き換えて、そのお心をお伺いに回る
タイガーくんの“吉野愛”をたずねて。
お仕事への思い、商品への思い・・・。
さて、どんなお話が飛び出すでしょうか!?
企業プロフィール
会社名 : 日建スチール株式会社 様
住所 : 兵庫県尼崎市潮江1-2-6 尼崎フロントビル1003
代表者 : 代表取締役社長 井上 好男 様
会社設立日:1984年(昭和59年)12月21日
事業内容 : 内装仕上げ工事・石膏ボード成形品「JUPITA」製造販売
URL : https://nikken-st.co.jp/
第45回のお客様は、兵庫県尼崎市にある
日建スチール株式会社 代表取締役社長の井上好男さんです。
せっこうボードをユニット化し、現場では取り付けるだけの作業により、大幅な施工性の向上を可能にした「JUPITA」のお話を中心に伺います。
<このお仕事に携わったきっかけを教えてください>
井上社長)私は高校卒業時に学校の推薦を受けて、初めは鉄鋼商社に入ったんです。しかし半年ぐらい勤めたころ、車が欲しくなりましてね、夜は仕事を掛け持ちでバーテンをやっていたんです。つまり、稼ぎたかったんですね。そのころの余暇は土日でして、休日は大好きな麻雀をするために雀荘に出入りしていました。その雀荘で「ある職人」に出会いましてね。この人の姿が恰好いいんですよ。白い地下足袋に白のニッカポッカという白づくめのいで立ちでね。その職人さんが私に「今は大阪万博が始まる前で、どこも職人不足です。井上さん、職人になりませんか?」と誘いをかけてきたんです。その言葉に「いやぁ、どうしようかなぁ」と悩みましてね。と言うのもその職人の話によると、なんと日当で6万円も8万円もくれると言うんです。稼ぎたかった私は「それやったらしようかな」と決意して、思い切って鉄鋼商社を辞め、見知らぬ職人の世界の門を叩いたんです。しかしね、やはりそこまでうまい話ではなくて、一人前になったら6万円くれるところ、私のような見習い職人はやっぱり日当5千円だったんですよ。でもね、昼サラリーマンに夜バーテンダーをやっても、稼げるお金は月に5~6万円。19歳の私にとって、倍ももらえる職人のお給料は十分に魅力的でしたね。
そこでは職人兼番頭さんのような建材を管理する仕事もやっていました。職人仕事は無から形のあるものができあがっていく、面白い仕事だと気に入って働いていました。ところが1年半ぐらい経った時に、親方が急に廃業することになりましてね。職人たちがバラバラになってしまう状態ですが、「車1台と溶接機」があれば容易に独立できる時代でもありましたので、私は3人ほどに声をかけて一念発起。22歳で始めたのが軽天とボード張りの会社「井上商店」です。この写真ね、井上商店時代に造ったプラネタリウムなんですよ。未完成の骨組みですけど面白いでしょ?
<30歳・井上商店時代>
<建築中のプラネタリウム>
<日建スチールのことをお聞きします>
井上社長)日建スチールの前身は、今お話した1972年に立ち上げた井上商店でして、そこから数えるともう52年を迎える、内装仕上げ工事を行っている会社です。ということは吉野石膏さんとも半世紀近いお付き合い、ということになりますね。
社名を変えた理由は、井上商店で12年ほど営業をしていた時に屋台骨となっていただいていたのが、日本建工(東京の軽鉄下地材のメーカー・工事会社)という会社と、大建工業という会社でして。この2本柱で仕事を頂いていたんですね。そこで日本建工の「日」と大建工業の「建」で「日建」という頭が決まり、鉄を使うから「スチール」を組み合わせて「日建スチール」という社名に変更したんです。日建スチールは一般住宅も行いますが、基本的にはビル、学校、病院など大きな建物を中心に行っています。社員はパートも含めて40人程度、こちらの関西と東京の新小岩にも拠点を構えています。東京進出のきっかけも東京のメーカーの方でしてね、弊社を担当していただいていた方が「東京進出考えているなら、僕にやらせてください」って言ったんですよ。その方は前のめりで、酒席で「現在のもらっている給料明細書をすぐ送って証明するから、現状と遜色ない金額を欲しい」と話をしてきたんですね。ところが酒の席ですからすっかり私が忘れていましてね。翌朝、いきなり謎の給料明細が送られてきたから「…なんだこれは?」と面食らった思い出があります。そこから、トントンと話が進みまして、半年後に大阪の職人を3人送りこんで、東京の事務所が立ち上がったんです。中には「1週間だけ東京の仕事を手伝って」と渋る中、説得して送り込んだのに、居心地が良いのでしょうね、そのまま今に至るまで35年、東京(千葉県市川市)に根付いてしまった方もいますよ(笑)。まぁ、仕事が多いですからね、東京は。吉野石膏さんの扱い高も関東圏が断トツですよね?
日建スチールとして大切にしていることは品質です。特にこの「JUPITA」という商品は品質にこだわっています。内装では全体のデザイン、特に照明部分は腕の差が出るところですから。もともと間接照明部分は、現場でベテランの職人が作っていたんですね。しかしこれだと手間ばかりかかるし、儲けも少ない。そこで予め工場でその部分の製造を行い、現場では取り付けるだけにしたら良いという発想が生まれました。それが「JUPITA」です。この「JUPITA」という名前の由来ですが、間接照明って横から見たらアルファベットの「J」に見えるでしょ?これを頭に置きながら言葉を探して・・・、「J」の形をしたものを、ピタッと合わせる、それでジェイピタ→ジュピタ、です(笑)。誰が命名したかは記憶が無いんですけど・・・、けど、いいでしょ?「J」がピタッ!で「ジュピタ」(笑)。
この「JUPITA」をやるきっかけですが、2003年にラスベガスで建材の見本市があったので、5社ぐらい連なって見に行ったんですね。その時の同行者で懇意になったP社さんが、「加工機を使って、予めせっこうボードとスチールから作ったものを現場で取り付ける」という仕事を始めたんです。それを「これはいいな」と思いながら見ていたんですが、そのうちP社さんが、その仕事を止めて、300万円もかけて造った機械を格安で譲ってくれるという。P社さんの作業に、私どもの職人さんをお貸しするような状態だったんものですから、そのご縁で事業まるごとお譲りくださった、というような流れでしょうか。
<きっかけとなった見本市にて>
12年前にコンサルタントの方のアドバイスを受けながら開発し、今や会社の売り上げの2割を占めるヒット商品となった「JUPITA」も、最初は製造機械を現場まで持って行き、そこで作るやり方でした。ところが現場で邪魔者扱いされたものですから、工場据え付けの機械に作り直して、少しずつ扱いを増やしていきました。5年ぐらいは大きなきっかけもなかったんですが7~8年前に兵庫県で仏教の聖地を造る仕事がありましてね、その天井をうちの「JUPITA」で全部やりましたところ、美しいと評判になりまして、一気に知名度が上がりました。東京本部では、みずほ銀行本社ビル新築工事と、麻布台ヒルズ森JPタワーのアンティークなコファー天井にJUPITAが採用されました。
タイガー)今更ながらですが日建スチールさんの仕上げ、特に曲面の美しさは素晴らしいなと感じます。正直、吉野石膏の社員が見てもせっこうボードでできていると思わないような芸術的なものもあります。
井上社長)何社か同じような仕事をしているグラス系の会社はありますけどね。我々は安価であるというせっこうボードを生かしながら、中の軽鉄から図面を書いてやっているため、取り付けまでスムーズにできるわけです。この「安価」「全てを把握」という二つの利点から競合社よりかなり安い金額でできるのも強みですね。
<森JPタワーのコファー天井>
<日建スチールの工場に並ぶJUPITA製品>
<「吉野石膏」についてお聞きします>
井上社長)御社の関口専務(※現顧問)時代からのお付き合いですからね。そりゃ長いですよ。今でも当時の御担当者と連絡を取って卓を囲むなど、御社の社員さんとも深いお付き合いですね。吉野石膏の方は昔から商品の話よりは世間話の方が多いかなぁ(笑)。
職人さんのことを考えるとやっぱり軽さを考えて欲しいですね。タイガージプトーン・ウルトラライトが出ましたよね?あれは助かりました。本当に軽いですからね。日本全国の職人さんが喜んでいるでしょ?壁用のライトボードも需要が多いんじゃないですか?
SDGsを考えると、少原料、女性の活躍など軽量化は大切なキーワードでもありますからね。
タイガー)軽量化は社内でも大切なキーワードでして、これは売り上げを急速に伸ばしているのですが、防カビ機能のあるジプトーン・ウルトラライト防カビタイプなどは、実はすでに超軽量タイプしかつくっていないのです。またSDGs的なお話ですと、吉野石膏ではつい最近リサイクル率100%という環境に配慮した「タイガーR100」という商品を開発し、来年1月から販売をすることになっております。
井上社長)それは凄いですね。あとは・・・吉野石膏さんにはうちの商品的にも様々な幅に対応した「曲がる」ボードを作って欲しいですね。また、うちはこれから内装だけでなく外壁に張れるようなものも研究しているところです。
タイガー)軒程度なのかなど、水かかりがどの程度かにもよりますが、最近ご需要が多いのは、縦穴区画に使える水に強く、カビも生えにくいタイガーボードタイプZ-WRや外壁下地用の耐力面材としてお使いいただけるタイガーEXプログレなどがございます。技術陣と相談して詳しくご提案させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
<インタビューを終えて>
「過去と人は変えることはできないが、未来と自分は変えることができる」という言葉がお好きだという井上社長。朝は野菜とトマトジュースを採り、未来に向けて健康維持に努めていらっしゃるようでお肌もツヤツヤで、73歳とは思えぬエネルギーに満ち溢れていました。
お仕事以外ではNPOの理事として使われなくなっているボートを海外に贈る懸け橋的な活動や、才能のある若い人を育てる目的で、スタートアップ企業を応援する事にも熱を入れていらっしゃいます。
どうぞ益々お元気で、「J」も「J以外」も「ピタッ」とはまる時間で溢れますよう、吉野石膏も全力で応援させていただきます!