株式会社 インテリアスペース・ゼロ 様
第四十九回 株式会社 インテリアスペース・ゼロ 様
永らく吉野石膏の商品をご愛顧いただいている
お取引先様のお気持ちを“吉野愛”という言葉に
置き換えて、そのお心をお伺いに回る
タイガーくんの“吉野愛”をたずねて。
お仕事への思い、商品への思い・・・。
さて、どんなお話が飛び出すでしょうか!?
第49回のお客様は、東京都江戸川区にある
株式会社 インテリアスペース・ゼロ 代表取締役社長の村社研太郎さんです。
インテリアスペース・ゼロは社員90名のうち62名が職人という「職人の会社」。
業界全体への目配りや、独自の方法で年商22億円まで成長させた手腕、そして盛り沢山のプライベートでのご活躍など、聴きどころ満載のインタビューとなりました。
<始めにこのお仕事に入られたきっかけから教えてください>
村社社長)僕は学生時代から様々なアルバイトをしました。中でも時給750円という当時としては破格の待遇でピザ配達をしていたのは特筆もので、そこでは月に20万円も稼いでいました。当時、店長から「こんなに稼いで、将来、何をしたいの?」と質問を受けたんです。僕は昔から運動が好きで野球やサッカーなどをやっており、本当は体育の先生になりたかったのですが、先生になるには就職難の時代でしたし、また、父が家庭を母任せにする団塊世代の会社人間サラリーマンだったため、「自分はそうはなりたくないな」という考え方があったので「(職種は二の次で)会社に勤めるのではなく、自分が社長になりたい」と答えたんです。すると、その店長は昔職人だったこともあり、「じゃ、お前、職人になるのが早いよ」と私に言ったんです。それを受け、自分の周りでも職人になった仲間が多かったこともあり、「よし!」とばかりに防水業の仕事から始めました。
ところが請負として独立し、仕事を始めて一年も経たないうちに「300万円」引っかかりました。そのため3年も経っていないのですが防水の仕事を諦めて、建築の仕事から一旦離れたんです。
お金が無い中ですが、結婚して子どもが二人いたものですから、まずは生活を何とかしなければならない。しかし、仕事を再出発しようと銀行にお金を借りに行っても門前払いなわけです。そりゃそうですよね。社長やりたいって言っているのに経済、金融の事なんて何も分かっていないわけですから。そこで、「金融の勉強」を隠しテーマに持って、まずは外資系の生命保険会社で働くことにしました。特に外資系は働くために専門知識の資格を求められるところですから、そこでは資格を取るために必死に勉強しましたね。
1年経った頃、突然、防水業時代の現場所長さんから「内装をやる友達がいたよね?現場で手が足りないから頼んでもらえるかな?」と電話を頂いたので、仲間をかき集めて応援に行ったんですね。僕も軽天ボードを触るのはその時初めてだったのですが、見よう見真似で作業も行いました。僕は元々前職でゼネコン慣れしていたこともあり職長業務はお手の物だった一方で、僕の友達は町場だったので、自然と僕は管理業務を中心に働くようになっていきました。この仕事はゼネコンさん直の仕事で、お金の処理のため口座を開設する必要があり、今の会社の礎となる「村社建業」が立ち上がりました。
その現場が終わった時に、「そのままやらないと勿体ないよ」と声を掛けられ、引き続きお仕事を頂くようになりました。ところがある現場で、私達を束ねていた親方がお給料3か月分を不払いのまま、高速カッター1台だけ置いて飛んでしまったんですね。そこからは大変で、当然お金が無いですから、100円だけガソリンを入れて現場に行くような毎日です。そのときに元請けさんの社長から「君が連れてきた若い子3人をそのまま引き連れて、独立してやれよ」と言われ、その社長さんが車や道具を買うお金として100万円を用立てしてくださったんですね。その後、その会社の下請けで、時には一人親方になるような人の増減がありながらも、9年ほど頑張って借金を返していきました。
そして2006年、その年は法律が改正になり資本金1円でも株式会社が設立できるようになった年だったということもあり、周りからは時期尚早と言われながらも株式会社を立てました。会社の名前については「〇〇興行」とか、「〇〇産業」のような素性が知れないような名前は嫌だし、「村社」が「むらこそ」と読みづらいので使いたくなかったので「横文字にしたいな・・・」と考え、その時、ずっと通っていたキックボクシングジムの名前とロゴを一緒に譲っていただけることになったこともあって「インテリアスペース・ゼロ」という社名を付け、スタートしたんです。変わった名前だったので仕事仲間からは「スペースゼロって、・・・社長、自宅の中で居場所が無いってこと?」とか、「これ、追加費用ゼロってことでいいんですよね?」なんて弄られましてね。でもね、当時はニュースでもコーラでも「ゼロ」というネーミングは無くて、これ、僕が先駆けみたいなものですよね(笑)。ゼロってね、何も無いではなくて、ここから増える一方、っていう無限の広がりがあるスタート地点なんだと思います。
会社は資本金500万円から始めて、社員も14人程度とまずますの規模だったものの、4次下請けぐらいですから吉野石膏さんの材料を買うような立場でもありません。早く材料を直接売ってもらえるようなポジションを得たかったのですが、初めは与信を頂けませんから問屋さんから買ったりしていましたね。その後もしばらくは2次下請けがいいところで、経営的には不安定な毎日でした。仕事内容は軽天下地から始まって、すぐボードをやるようになりました。今、グループ全体の売り上げは22億円で、そのうち軽天ボードが14億円を占めていますから会社の基本型は今もあまり変わっていませんね。それ以外の内装仕事、外装仕事と新たなことを手掛けるたびに、グループとして建築事務所を作ったりしながら、仕事の幅を広げてきております。
そして、これは秘訣と言えるかどうかわかりませんが、他社さんはゼネコンさん相手ならゼネコンだけと、ほぼお得意様先が決まっているのですが、うちは珍しくゼネコンも店舗も両方やっています。従業員90人のうち社員職人が62人(取材時)と言う「社員職人が多い」体制ゆえに、意識的にやっていることなのですがその理由は、この2つの仕事を行うことで1年の中で仕事の波が減らせるという利点があるからなのです。ゼネコンの仕事が終わった後にテナント工事が始まるわけですから、仕事の隙間、遊んでしまう時間をうまく埋めていくことができるんですね。うちが伸びている要因もここにあるのかな、と思っています。
タイガー)職人さんを社員として抱えるメリットは何なのですか?
村社社長)会社にとってみたら職人を社員にするメリットなんて無くて、デメリットだらけですよ!(笑)
僕の目標は職人さんの子どもが大学に行けることと、住宅ローンを組めることなんです。
うちは社員職人だから当然全員が社保じゃないですか。もうこの制度にしてから16~17年やっていますけど、導入当時は職人の社保なんて全くない時代ですから、目先の手取りが減ることを嫌がり、当初は半分の職人がうちを辞めました。「会社が半分払うんだから君たちは得するんだよ」と散々説得したんですが。…今思えば時代の先取りをしていたんですがねぇ…。
けどね、本当は一人親方にしないと、金銭的にやっていけなくなっちゃっているぐらいしかお給料がもらえない、職人の作業に対する賃金の低さが問題なんです。会社にしてみると社保などを負担すると利益出なくなるぐらいしか、元請けから払ってもらえていないんですから。けど、これ、うちが頑張ってやっていかないと意味ないからね、だから僕は踏ん張って続けていきますよ。グループ会社を作った意義の中に、年配になった職人さんの働く場を設ける、という目的もあります。例えば技能を教えたり、現場を管理したりするために補助金を頂きながらこの「スマートグラス」を導入したのも、その流れの一環です。これがあれば熟練した職人が事務所に居ながらにしてその伝承や指導ができるわけです。複数の現場にも指示ができますし、万が一カッとして手が出そうになっても、何もできないしね(笑)。現場ではなかなか図面通りにならなくて、私達の業界用語で「納まり」って言葉がある。そこが熟練の腕の見せ所ですし、経験の差がでるところですから、その技をまるで横にいるように教えられるのは大きいです。
タイガー)御社には外国人の技能実習生制度もありますね。
村社社長)はい、めちゃくちゃ力入れてます!家造りでは今まで日本の匠が支えてきましたが、これからはプラモデルやパズルとまでは言いませんが誰もが組み立てるように家を造っていけないと成り立たない時代がやってきます。ただでさえすでに人がいない業界ですから、育てるのに10年かかるなんて言っていられませんよ。今の日本で、建築業をやりたい若い子なんて、本当にいないですからね。それなのに現場は「日本人寄こせ」って言ってくる。上に行けば行くほど、実態を知らなさすぎると思いますね。うちにはべトナム人の職長がいます。半端な日本人より仕事は丁寧だし早いし、評判いいですよ。
<大活躍のスマートグラス>
<「吉野石膏」についてお聞きします>
村社社長)うちは耐火・遮音間仕切壁(耐火遮音システム)の扱いが多いですね。吉野石膏さんはね、安く入れて頂いていますから僕らもやっていけるんですけど、本当はこの業界全体で、一斉に値段を高くしたいんです。材料も、人件費も。この業界、みんな吉野石膏の品物を使っているから、一番影響力があると思うんで大きな声を上げていただきたいですね。ただ、みんなが同じ仕入れをしないと叩き合いになって競争が成り立たないので、そこは守っていただいて、という原則の下ですが。
あと、この前吉野石膏さんの認定番号が減りましたが、元々多すぎて覚えられないので、現場で問題になっていますよね。ちょっと経験値が浅い職人さんだと、認定番号の違いによる微妙な差だと安全な方、安全な方に行くので、結果、やらなくて良い仕事までやっちゃう、という無駄にも繋がっています。これは外国人や若い子を使う場合のネックにもなるので、どうにかして整理したいですよね。何かうまい方法ないんですか?
吉野石膏の営業マンはお陰様で皆良い方を付けていただいて、うちは東京にありながらおそらく全国の仕事を最もやっている会社のひとつだと思うんですが、元ご担当者が転勤後に、赴任先の現場の人手不足をご連絡いただくなど、長いお付き合いをさせていただいています!
<インタビューを終えて>
地元の少年野球の監督や、18年も務めたPTA会長、また地元ロータリクラブの幹部などの表舞台だけでなく、保護司の勉強をしたり、800人のボランティアを束ねて江戸川花火大会翌日の清掃活動を行うなど、社会貢献、地域貢献に邁進されている村社社長。子どもたちには常に「ダメなものはダメ」「忘れ物をしない」「時間を守る」「礼儀を守る」という基本的なことを教えているのだそうです。
「もう、そんな時代じゃないのかもなぁ…」とおっしゃっていましたが、いえいえ、親が教えないのなら、良き指導者が、未来の日本を担う子どもたちを導いて欲しいです!
人に見込まれて、何かを頼まれたなら、村社社長はこう答えます。
「YES!」か、「ハイ!」か、「喜んで!」。それに加えて「待ってました!」
タイガー君は、そんな村社社長が大、大、大好きでございます!
<吉野石膏の商品が詰まった倉庫 ありがとうございます!>